仮初のつがい鳥
7−6
 びっくりして、びっくりしすぎて、真っ暗な寝室の中、白い寝具に浮かび上がるベッドに慌てて縋った。
 早鐘を打つ心臓は、ベッドに飛び込んだ今も、容易にはおさまってくれない。視覚野に焼きついた映像が、徐々に明瞭になる意識によって脳内で咀嚼されていく。その度ごとに、稔の体温は上昇するようだった。
 稔は熱くのぼせるような頬をてのひらで包み込み、目まぐるしく動く脳裏の映像にじっと耐える。
――なんなの!なんなの!なんなの!
 今までも、不意打ちに嫌がらせはされていたのだが、さすがに寝とぼけた所を襲われるのは衝撃が強い。たとえそれが冗談だと分かっていても。
 稔は掛け布団を頭まですっぽりかぶり、枕に顔を押し付けた。枕カバーの冷たさが、彼女の頬の熱をなだめる。だがそれも、ほんの一瞬の気休めでしかない。
 不意に枕に流れる自分の髪が視界に入った。途端に、羞恥にざわめく心臓によって、稔の頬が再び温度を上げた。
 思い出すのは甲子郎の不敵な微笑み。稔の髪をつかんで、キスをした。女のほっそりしたものとは違う、大きな手。けれどきれいな長い指。そしてその指からこぼれ落ちる、自分の髪。
 スローモーションで思い出されるその情景は、彼女の脳裏に焼きついて離れない。軟派な仕草だが、どうしてだか甲子郎がそれをやると、とても魅力的に見えた。
 ふたたび稔は枕に顔を押し付け、頬の熱がひくのをじっと待った。これ以上は深く考えないほうが良い。深く考えないで眠ったほうが良いと、本能が告げていた。
 ようやく心に平穏が戻った頃、ゆっくりではあるが、彼女のもとへ睡魔も舞い戻ってきていた。稔はもそもそと枕から顔をずらして、横に広がる自分の髪をぼんやりと眺めた。
 みたび脳裏に甲子郎の顔が映ったが、波打つ眠気には勝てず、心音は凪いでいた。
 自分の髪を眺める稔は、不意に奇妙なことに気付いた。
「三つ編みにしてたはず……だよね?」
 ひと房手に取ると指先でひねり、毛先をくるりとまわす。幸いなことに枝毛はないようだった。
 本日、稔はきっちりと固く三つ編みを編んでいたのだが、どういうわけか、いつの間にかほどいてある。編んでいた名残のウェーブが、ゆるく波模様を描いており、ほどいてからさほど時間はたっていないようだった。
 稔には、寝とぼけながら髪をといたりする器用な特技はない。必然的に甲子郎がやったということになる。
 眠るのに、あの髪型では頭が痛くなるだろうと思ってのことか。大きなお世話だとは、とても言えないが、一体どこまで甲斐甲斐しいのだろうか。
「……お礼は、言わなくちゃね」
 稔は眉根を寄せて、複雑な気持ちになった。


 うとうと開閉していたまぶたが、しっかり合わさったのは、それから数分してからのこと。静かな寝息に合わせて、寝具が上下する。
 隣の部屋から小さな物音と人の動く気配。扉が開く音とともに細く明かりが差し込んだ。幸いにして彼女の顔にはかからず、安眠を妨げることはなかった。
 稔は眠りの淵に落ちる途中、誰かの気配を感じとっていた。普通なら目を覚まして、誰かを確認しているはずだ。
 しかしそれは、心地良い暖かさを肌に感じたことで、どうでもよくなった。
 寝具に包まれているよりも、とても温かい。安心感を覚えるそれに、稔は体を弛緩させ、身をゆだねた。

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