仮初のつがい鳥
7−4
 甲子郎と稔の帰宅より遅れて、ダンボールに入った荷物が届いた。中身は旅先で買い求めた土産品である。
 二人は中をあけて確認すると、溜息を一つついて片付けに取り掛かった。
 旅先であらかじめ土産物の包みに貼られた付せんと、送り先のリストを照合しながら、二人は保存場所を決めていく。
「これは明日、会社に持っていくから、袋に入れて玄関に置いててくれるかな?」
 甲子郎は自分が買い求めた土産を、土産物屋でつけてもらった大きな袋に入れて稔に渡した。立っていた稔は手渡された袋を、無言でしばし見つめ、黙ってうなずき、玄関先に消えすぐに帰って来た。彼女の不審な沈黙に甲子郎は首をかしげながらも、作業を続行する。
「こっちは明後日に渡しにいくんで……いく?」
 不意にかけられた稔の言葉に、甲子郎は頭を上げて彼女を凝視した。返答をためらったがために、奇妙な沈黙が室内に流れる。
 稔は一瞬、苦い表情をしたが、何事もなかったように、ふたたび甲子郎に声をかけた。
「これ、冷蔵庫に入れておきますよ」
 歩み寄ろうと、一歩踏み出した足が、引っ込んでしまった。
 こちらに振り返ろうとはせず、自分の作業に没頭する稔の、後ろから見える耳たぶは朱に染まっていた。甲子郎は我知らずぽかんと開けていた口をぐっと噛み締める。
 たかが敬語をやめた程度で、人間関係の隔たりを容易に埋められると思っているのかと、言外に彼を責め、すぐに切り替えなどできぬと渋った彼女が、わざわざ丁寧口調を言い直してくれたというのに。甲子郎はせっかく差し出されたチャンスを掴み損ねた。
 この上は、話を掘り返さないよう努めるのが最善の策である。
 彼女がなかったことにしたいのならば、彼はそれに従うまでだ。それで稔の気持ちがリセットされ、再び歩み寄ろうとしてくれるのであれば、願ってもない。
 甲子郎は稔の背中を凝視していた視線を下に落とし、作業を再開したのだった。

 ほとんどは常温保存が可能であるが、真夏の陽気により、必然的に保存場所は冷蔵庫へと決まっていく。
「生ものは直接送ってしまっていてよかったですね」
「本当に。この冷蔵庫じゃ入りきらなかったところだよ」
 冷蔵庫に隙なくみっちり入った包みを見ながら稔が笑うので、甲子郎は胸の内で安堵の息をついた。

 マンションの周りを散策がてら、夕食を食べに出ることにした。時刻はすでに夕刻となり、マンションのエントランスを出ると、家路に急ぐ子どもの姿が多く見かけられた。
 稔は腕を振り上げながら伸びをする。隣の甲子郎の背中には、今沈みきろうとしている赤い陽が当たっていた。
 白いシャツに映えて、まるで燃えるように熱い色だったので、稔は彼の背中を凝視した後、そっと手を伸ばした。
「なに?」
「あ、いえ。夕日が当たって暖かそうな背中でしたので……」
 我ながらとんちんかんな理由を口走り、稔は一人赤面した。伸ばした手を素早く引っ込める姿に、甲子郎は目元を緩めた。
「それを言うなら稔さんだって、俺と同じくらい暖かそうだよ」
 そう言って稔が彼にしたように、彼女の背に大きなてのひらが触れる。
 けれど暖かそうだと彼が言った稔の背中よりも、甲子郎のてのひらの方が暖かく感じるのはなぜだろう。彼の体温のほうが高いのだと言えば、それまでなのだが、その暖かさが今は快い。
「甲子郎さんの手のほうが、暖かいよ」
 稔は少しばかり俯く。今度は詰まらずに言えたことに、ほんのり頬が熱くなる。自分の顔が赤いことは、夕陽が隠してくれるにしても、甲子郎のさっきのような奇妙なものを見るかのような眼差しには耐えられなくて、彼を視界から追い出した。
「そうかな?」
 頭上で甲子郎が答えた後、稔の片手が心地良い熱に奪われる。
「稔さんの手も、暖かいね」
 甲子郎が稔の手を取り微笑んでいた。嬉しそうに。
 稔もなんだか嬉しくなって、自然と頬が緩んだのは、彼が奇妙な顔をしていなかったからだ。自分から歩み寄ってくれと言ったのだから、当然じゃないか。稔が敬語をやめたとたんに変な顔をするのは全く不当であり、彼女が気落ちするのは道理に合わない。
 けれど、彼が本当ににこにこと嬉しそうに笑うので、稔の機嫌も急上昇であった。手をつないだまま、あちらこちら見てまわるのも嫌だとは思いもしなかった。
 間もなく腹の虫が鳴り響き、散策を切り上げ最初に目に付いた小料理屋に二人が飛び込んだのは、もう日が暮れた夜道でのことだった。

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