仮初のつがい鳥
7−1
 空港に降り立って、開口一番、甲子郎が言う。
「暑いねえ」
 これには稔も同感とばかりに頷いてしまう。首筋を流れる汗を拭いつつ、二人して帰りついたのは昼前のことだった。
 空港の前に江副の迎えの車が停まっていて、そこから新居へ送られる。車内は冷房が効いていて、しっとりと汗ばんだ肌はあっという間に乾ききった。外の暑さを考えると、とても窓は開けられない。
 人為的な涼しさは時として害になりうるけれど、灼熱の外気にさらされるくらいなら稔は体調を崩してもいいと思った。甲子郎も遠からず同じようなことを思っているようで、昨日は空調にやたら気を遣っていたはずが今は何も言わずに冷気を甘受している。
 もっともらしく自然が一番だと言った所で、所詮は文明の利器が生み出す快適さを手放すことはそうそう出来ないものなのだ。
 しかし心地良い時間は実際の時間よりも短く感じられるもので、目的地のマンションの前で車が停止すると二人揃って顔をしかめたのだった。
「甲子郎様、到着しました」
「ああ」
 運転手の言葉におざなりな返事を返すが、下りる気配は一向にない。運転手がきびきびと二人の荷物を下ろし、後部座席の扉をノックすると観念したように溜息を一つ吐いた。
「暑いの苦手だなあ」
「私もです」
 外の熱気を想像すると自然と眉間にしわが寄った。そんな彼のぼやきに隣の少女も同じしかめ面で同意する。二人で顔を見合わせ、意を決して扉を開けた。
 むっとする暑さに眉間のしわが更に深くなったのは言うまでもない。今までひんやりと冷気を帯びていた肌すら、瞬く間にじっとりと汗をかく。
「向こうに住みたいです……」
「賛同するよ」
 函館では独り言でおわってしまったが、今回は同意を得た。
「旧函館区公会堂みたいな水色に黄色の縁取りのお邸に住みたいです。というかあそこに住みたいです」
 暑さで意識が飛びそうだったが、水を得た魚のように稔は瞳を輝かせ、饒舌になった。
 しかし、乾いた笑いを含ませて、甲子郎から返ってきた答えは残念なものだった。
「それは……賛同しかねるね」
 とたんに首をうな垂れた稔を横目で見ると、甲子郎は宙を見上げなにやら思案したあと言葉をついだ。
「稔さんのご希望に全部は応えられないけれど、内装くらいなら水色に黄色の縁取りはできるよ」
 そう言いながら甲子郎は一つの扉の前に立ち、ポケットから出した鍵で音もなく開錠する。
「さあ、どうぞ」
 うやうやしく扉を開け放つ甲子郎と、扉の向こう側を稔が交互に見遣ると、彼は目線だけで彼女に先に入るよう促した。
 玄関のたたきに足を踏み込む。稔の後ろに甲子郎も入ってきて、扉が静かに閉まった。耳が痛いくらいの静寂は、稔の心臓をわずかに波立たせる。
「これからここが、僕らの家だよ」
 玄関を臨む廊下に響いた甲子郎の声に、稔は振り返る。
 甲子郎の瞳ははるか遠くを静観していた。

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