仮初のつがい鳥 |
5−12 |
甲子郎が寝室を出ると、身支度を終えた稔が彼を待っていた。 「昨日の小母様のところへご挨拶に行くので支度して下さい。早く早く」 稔は甲子郎の背中を押して洗面所へせき立てるので、寝起きの良い甲子郎はすぐに稔の要求を呑んで、てきぱきと身支度を整えた。 昨日甲子郎が聞いておいた番号の部屋へ二人揃って訪ねたが、誰も出なかった。フロントへ問い合わせた所、チェックアウトも外出もしていないとのことで、朝風呂でも入っているのではと返された。 しかし二人にも予定がある。昼前までには次の宿泊地へ向けて発たなければならない。 新婚旅行という名目になってはいるが、実際の新婚夫婦のようにのんびり二人の時間を楽しむような仲ではないので、稔の独断により予定表には観光地の名前がぎっちりと書き込まれている。 否やがあればあれば変更もできるが、甲子郎は特に文句も言わずにスケジュールを眺めた。 「ちょっと、疲れそうだね……」 という一言を除いては、甲子郎は稔の思うとおりに付き従うことにした。 結局、時間が差し迫っているために荷物をまとめてチェックアウトだけでもしておくことになり、稔は甲子郎に任せてロビーの椅子に腰掛けて待っていた。 「あらー、もう出はるん?」 顔を上げると、風呂上りと思しき昨日の小母さんが稔に向かってきていた。やっぱり後ろにはお嫁さん二人を従えている。 稔は咄嗟に慌てて立ち上がり、深々と頭を下げた。 「き、昨日は大変お世話になりまして、ありがとうございます。ご迷惑をお掛けしまして申し訳ありません」 「あらあらまあまあ、そんな気ぃ遣わんかてええのよ。もうお体大丈夫?」 身を屈めて心配そうに稔の肩に手を置いた。顔を上げた稔に小母さんは神妙な顔つきで首を振った。 「こっちの方こそ申し訳ないことしたわあ。アレはちょっと喋りすぎたな」 ちょっとどころではないのだが、口を挟むのも無粋である。 稔が小母さんと話しているのに気付いた甲子郎は、フロントにキーを戻すと慌てた様子で駆け寄ってきた。 「昨日は妻が大変お世話になりました」 「昨日はどうも、江副さん」 互いに会釈をした二人の言葉が重なって、高校生の稔はおかしな光景だと思った。 「稔さん、ちゃんとお礼言った?」 ひとしきり挨拶を交わした大人は、次に稔に向かって言った。甲子郎もあれだけ世話になっておいて、稔が小母さんに礼も言っていない不躾な子だとは思っていなかったが、夫という名目上の保護者として確認をしたのだが。 「当たり前でしょう」 当の稔は甲子郎の保護者ぶった子供扱いに口を尖らせた。 そういう行動が正に子供じみているのだと、甲子郎は言いたかったが他人の前で下らない諍いはみっともない。 「それは感心」 優しく笑うと、手荷物を送迎車に積み込みに再び稔の元を離れていった。 やっぱりどこか子供扱いをする甲子郎を不満げに睨んだ後、稔は小母さんに視線を戻した。 「昨日は旦那さんに優しいしてもろた?」 含み笑いを浮かべる小母さんに、小首をかしげながら稔は昨夜を回想した。 「いいえ、全然」 「あらまあ」 愛想とか取り繕わねばならない場面に疎い稔はごく正直に真顔で答えた。昨夜の甲子郎の所業は稔にとっては我慢ならない腹立たしい出来事だ。 小母さんは眉間に皺を寄せて感嘆の声を上げると、ちょうど戻ってきた甲子郎を睨んだ。 「江副さん、奥さんは大事にせなアカンよ。優しゅう労わったってよ」 語気を荒げた小母さんに、いきなり怒られた甲子郎は要領を得ないといった風に曖昧に相槌を打った。 「……?はあ、善処します」 稔がよからぬことでも吹聴したのかと甲子郎は名目上の妻を睥睨した。 |
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