仮初のつがい鳥
5−11
 昨日は怒りながらベッドにもぐり込み、なかなか寝付けそうもないと思っていたが、いつの間にやら眠ってしまっていた。朝の気配に目を覚まし、稔はあくびをかみ殺した。両腕を伸ばして体の中の眠気を追い出すと幾分頭の中がすっきりした。
 ふと隣に視線を送ると、人一人分の隔たりを越えたところに甲子郎の顔。綺麗だと巷でもてはやされる顔の造形は、稔も綺麗であると思う。
 どこからどう見ても男の顔だが、長いまつげや白い肌は女性もうらやむ性質だ。肌だけでなく、もともと色素が薄いのか甲子郎の髪は染める必要のない褐色。
 ブルネット、とはこういう色味のことを言うのかと、稔はふと考えた。
 我知らず、まじまじと見つめていたようで、気付いたときには寝息を肌に感じるくらい甲子郎に近づいていた。
 驚いて、飛び退る寸前に自分の体を押しとどめ、稔は深くゆっくり息を吐く。
騒ぎ立てては甲子郎が起きてしまう。まだ昨日のことを思い出せば沸々と怒りが甦ってくるのに、心の準備もできないうちに彼と顔をつき合わせた所でどういう態度を取ればよいか分からない。
 稔は息を殺して甲子郎の寝顔を見つめた。枕が変わっても安眠できる性質のようで、彼の寝息は深く一定を刻んでいる。
吐息を吐くこの唇が、酷薄に歪んだ様を思い出す。稔を戯れに抱き締めて、稔の慌てふためく反応を鼻で笑ったのだ。
 稔は更に息を詰めて、おもむろに甲子郎の鼻をつまんだ。指に力を込めるとすぐに気付かれるおそれがあるので、甲子郎が起きない程度に力を加減した。
 時間の経過とともに、甲子郎の眉間に皺が寄っていく。苦しそうな表情だが、熟睡する彼には口で息をすることへそう易々と切り替えができないようだ。
 段々と眉間の皺が深くなり、呻き声が上がったと同時に稔の手に抗う甲子郎の手が掛け布団の中から出てきた。しかし稔は先手必勝とばかりに払い除けられる前に甲子郎の手をねじ伏せて、鼻をつまむ指に力を入れた。
 別に窒息死させようという気は更々ない。けれどそう簡単に解放してやる気もない。これはささやかな報復なのだから。
 結局、甲子郎が顔を赤らめながら飛び起きた所で稔の手は振りほどかれた。
 ゼーゼーと荒い呼吸を繰り返す甲子郎を満足気に見下ろして、稔は余裕を込めた笑顔を浮かべた。
「おはよう、甲子郎さん」
 稔の声に甲子郎が反応して、けれど寝起きでか全ての状況を把握していない彼の瞳はどこか虚ろだった。稔を見上げて、その瞳が段々と色味を増してくる。
覚醒が近い。
 甲子郎がハッキリと、頭の芯まで目覚める瞬間。稔はすかさず彼の頬に唇を押し付けて、彼の反応も見ずに背を向けて部屋を出て行った。
意趣返しのつもりで好意の欠片もない口付けであるけれど、十六歳の女の子が親兄弟でもない他人の男性に平気で口付けなどできるわけはない。それがたとえ頬にであろうとも。
 多少なりとも頬を染め、部屋の扉を閉めた直後。
ははははは、と甲子郎の笑い声が扉に響いた。
 彼は稔の報復を、甘んじて受け入れた様子。

BACK * TOP * NEXT