仮初のつがい鳥
5−6
 稔は理不尽な思いに頬を膨らませつつ、温泉に入った。
甲子郎に対する不満を、口に出すことはなく心の中でぶちまけて、むかむかとしながら湯船に体を浮かべる。
段々と体がほぐれていくように、不思議と稔の心も落ち着いてきて、深呼吸を一つした後、薄墨色の空に出始めた青い月を見上げた。
こんなにゆっくりと月を見上げるのは久しぶりの事かもしれない。
そう、最近は本当に慌しくて、息の詰まる毎日だった。
「ちょっとちょっと、お姉さん」
 ほっこり呆けていると後ろから突然声をかけられ、稔は振り返った。
そこには見知らぬ中年女性が3人ほどいて、人好きする笑みを浮かべて稔の方へ近寄ってきた。
「こんな所に若い人が珍しいねえ。どこから来はったの?」
そういう本人も明らかに地元の人間ではない言葉を喋る。
見知らぬ他人から声をかけられることに戸惑いを感じつつ、これも旅の醍醐味かと稔はぎこちない微笑を浮かべた。
「さっきねえ、お姉さんとホラ、連れのお兄さんが入り口で話し込んではったでしょ?」
 片手を振って喋る一番年嵩の夫人が中心人物のようで、あとの二人はそれに頷く。関西弁の夫人は還暦を迎える稔の父親よりもずっと上に見える。人の年齢を推測できない稔にとってはそれくらいでしか測れない。あとの二人は稔の母親の年齢くらいに見える。
相手の話に相槌を打ちながら、瞬く間に騒がしくなったものだと、さっきまでの安穏が惜しいと稔は思った。
「丁度、ワタシらその前を通ったんやけどね」
人が通り過ぎたのには全く気付かなかった。いささか揉めていたのを見られてしまったのだろうか、恥ずかしいことだ。
「男前な旦那さんやねえ!!」
「はあ」
 気のない返事をしつつも、稔は内心ぎょっとした。こんなあけすけに言われたのは初めての事なので、どう返していいものか分からない。
それに他人の口から改めて二人の関係を言われると、慣れないからか妙な違和感がある。
『夫』を褒められて、普通ならば喜ばねばならないのだろうが、稔の中では甲子郎はまだまだ『知り合い』程度を抜けきらないので、褒めてもらった所でその賞賛は自分と縁遠いものであると認識する。
だからそんな間の抜けた返答に、喋りかけてきた小母さんは一瞬怪訝な表情を作ったが、すぐにお喋りを再開した。
「ここへは新婚旅行に来はったん?えらい辺鄙な所選ぶんやねえ。あ、ワタシらもね、破綻する前に行こうと思って来たんやけどね。ほんで、あの男前な旦那さんとはいつ知りあったん?プロポーズの言葉は?」
 マシンガンのように喋りまくる小母さんに、稔はたじたじで、同伴の小母さん二人も少し困ったよう。
稔の困窮した様子を見かねて、とうとう二人のうちの一人が遠慮がちに口を挟んだ。
「お義母さん、初対面の方にそんな詮索しては失礼ですよ。興味本位に聞かれては、あちらも困ってしまいます」
遠慮がちに口を開いたかと思えば意外とものをはっきり言う。
そのおかげで稔は小母さんの質問攻めから逃れられた。
「あらまあ、堪忍な。うちの孫もそろそろ結婚せなアカンねんけどねえ、お姉さんみたいにいい人おらんのよ。よその馴れ初めでも聞いたら参考になるかな思て」
 我に返って恥ずかしそうに言い訳する小母さんは、興味本位が八割方で孫の結婚などどうでも良いというのがありありと出ていた。その証拠に、一呼吸も置かない間に「で、いつ知り合ったん?」と聞かれた。
 悪い人ではなさそうだが、根掘り葉掘り聞かれるのには腰が引ける。
稔は何とか話を逸らそうと、先ほど話題に上った孫を使おうと思った。
「あの、お孫さんはおいくつですの?」
 これには喋り続けていた小母さんではなく、先ほど小母さんを諌めた人が答えた。
「うちの長男で、22になるんですよ」
 結婚を考えるには世間一般ではまだまだ若い年齢ではないだろうか。特に男性の場合なら。
問いかけるように首をひねると、今度は小母さんが困ったように首をかしげた。
「顔はいいんやけどねえ、性格がかなわんてよう言われてええ人寄って来んのよ。せやから今のうちに見つけて捕まえとかんと。早よ曾孫も見たいことやし」
 どこの家も早婚なことだと、わが身を顧みて稔はため息を吐きたくなった。

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