仮初のつがい鳥
5−5
 好物をたらふく食べたのに、お土産と称してメロンを買いに走る稔の背中を、半ば呆れたように見送って、後からゆっくり追いかける。
あれほどの好物に囲まれて、今まで見たこともないほど上機嫌な稔に甲子郎は正直驚いている。
 まだ再会して半年も経たない互いの関係は、必要以上に干渉し合わなかっただけに、共に暮らす仲としてはいまだぎこちない。
甲子郎は大人として稔に優しくしているつもりだが、実際のところ彼女に対して一線を隔てているのは自覚しているし、稔も甲子郎にはあからさまに懐いていない。腕の中で眠ってくれるほどには懐いてくれたと思っていたが、起きている時はまた別らしい。
いつでも敬語なのは疲れやしないのか、何度か稔に気を遣う必要はないと言ったのだが、硬い表情で「結構です」と拒否された。心の壁は厚いようで。
 しかしながら、ここまで稔を喜ばせる好物を知ることが出来て甲子郎は少し嬉しく思う。これから彼女の怒りを被ることがあれば、機嫌取りに利用できると思ったからだ。一緒に暮らしていくこれから先、彼女が自分に感情をさらけ出してくれることがあればの話だが。

 メロンのあとは美術館に行ったりして、ホテルに帰るにはまだ早い時間を潰した。
二人で隣に並んで歩きながら、稔は普段と違う町並みの細部にまで心動かされ、見物に忙しなく視線を動かし、甲子郎はそれを面白げに眺めていた。
ホテルに帰ったときはもう夕飯の頃合で、甲子郎はロビーに入ったところで夕食の話を稔に持ちかけた。
すると稔は浮かない顔で、甲子郎の顔色を伺うようにちらちらと視線を送ってくるのだ。甲子郎が首をかしげると、稔はほんのり恥ずかしそうな顔を見せまいと俯いた。
「まだ、おなかいっぱいで、夕食食べたくありません」
 彼女は明言しなかったが、明らかに昼食のメロンが原因だろう。甲子郎は呆れて物も言えず、ただ俯く稔の後頭部を見ていた。
しかしこのまま突っ立っているわけにもいかず、甲子郎は我に返ると稔を呼んだ。
「じゃあ、先にお風呂に入ろうか。一階の大浴場に露天風呂があるみたいだから、入ったら少しはお腹もこなれるんじゃなかな」
甲子郎の提案に、稔が頷かないわけがなかった。

 一度部屋に戻って、必要なものをそろえたら二人並んで大浴場の前にやってきた。向かう途中、すでに入ってきたと思われる他の宿泊客とすれ違い、ほっこりと体から立ち上る湯気に稔は心躍らせた。
 実家の風呂は足を伸ばせるほどの広さはあったが、それでも宿泊施設などが保有する大浴場には比べられないだろう。外の空気を感じながら広々とした湯船に浸かるのは、考えただけでも癒される。天然の温泉は身体に何の効果をもたらしてくれるのだろう、それも少し興味がある。
「甲子郎さん、きっと私は長湯だと思いますので、先に帰っててくださいね。私も一人で帰れますから」
 『姫』と書かれた女湯ののれんをくぐる前に、稔は甲子郎に言った。
甲子郎はそれを『殿』と書かれた男湯の、のれんの前で聞いて眉根を寄せた。
「なんで」
いささか不機嫌になった甲子郎に稔が少し驚いたのだが、甲子郎はそんなこと気にも留めずに稔に歩み寄った。
「待ってるから、一時間くらいで出ておいで。一人で勝手に出歩かないで」
 これには今度は稔が眉根を寄せた。子ども扱いをされたと憤り、表情を硬くして甲子郎を見上げる。
「別に、一人でちゃんと部屋まで帰れます、子供じゃないですから。それに、どれくらいで出られるか、私にだってまだ分かりません。待ってたら甲子郎さん、湯冷めして風邪をひいてしまいます」
 甲子郎を慮っての発言だった。子ども扱いされたのが癪に障ったのは確かだが、わざわざ自分の為に気をつかって待っている必要はないと言いたかったのに。
「子供じゃないから一人で出歩いちゃだめなんだ。いいかい?ちゃんと一時間したら出てくること。ここで待ってるから」
「ちょっ……」
稔の反論も切り捨てて、甲子郎は一方的に会話を終わらせるとのれんをくぐった。
「……なに、アレ」
 もやもやと稔の胸には憤りしか残さない。甲子郎の言葉の真意も残らない。
稔は理不尽な思いに駆られて勢いよくのれんをくぐった。

BACK * TOP * NEXT