仮初のつがい鳥 |
5−1 |
夏の北海道は涼しいと思っていたのに、そこそこ暑い。稔は自分の思い込みを呪いたかった。 窓を全開にしてホテルの裏側に面した青葉の丘陵を眺めた。冬になると雪が積もって、目の前の丘はゲレンデになるらしい。 そういえば脇の方にリフトらしきケーブルがある。ケーブルの架かる支柱の根元に、動く物体があって稔は刮目した。 黒く汚れて毛艶も何もあったもんじゃない、酷く痩せぎすなキタキツネだった。 テレビや写真で見る彼らは、白い雪原の中をフワフワモコモコの体で飛び跳ねていたが、雪がないせいなのかこちらが現実の物だからなのか、とてもみすぼらしい生き物だった。 「まだ怒ってるの?」 あんまりキタキツネに集中していたせいで、同じ部屋に居たというのに同伴者の存在をすっかり忘れていた。 けれどキツネから目を離したくない稔は、振り向かないまま答えた。 「別に」 すると、背後の人物はこれ見よがしに溜息を吐く。 彼の態度にムッとしたが、キツネがひょいひょいと飛び跳ねるのでそれどころではない。 すぐに後ろの存在を忘れて、再びキツネの動向を注視する。 「稔さん」 少し苛立ったような声音にようやく振り向いた。 そして振り向いた先の顔を見て、さっきキツネで紛れていた不機嫌が甦ってしまい、稔は眉間に縦皺を刻む。 窓際に座る稔から2メートルほどの間を取って立っているのは、数日前に夫となった江副甲子郎という男。 先日、稔は甲子郎と結婚式を挙げた。 その結婚式に臨むに当たって、稔は甲子郎にある頼みごとをしていた。それはもう耳にたこが出来るほど口を酸っぱくして。 『キスはしないで。どうしてもしなくちゃいけないのなら、頬か額にして下さい』 ウェディングドレスを着て十字架の前で結ぶ婚姻なのなら、定番の誓いの口付け。当日の式の手順を教えられて稔は青ざめた。 半ば懇願のように何度も甲子郎に訴えた。彼も笑って承諾したのに、式本番、稔のヴェールを上げた甲子郎は神父や参列者の目の前で口付けたのだ。 唇に。 あれほど約束したのに、あっさり破られてしまって、ショックで稔は泣きそうだった。それでも涙をこらえて笑顔で式と披露宴を終えたのは自分でも偉いと思う。 笑うと頬の筋肉が少し引きつるので、終始笑顔で居られただろうことは分かる。 ただ、ショックが大きすぎたのと、あまりの慌しさにその後のことはあまりよく憶えていない。 全てが終わって、空港に程近いホテルに二人して到着したのはもう日をまたいだ深夜だった。 一泊して明日の朝、新婚旅行に発つのだが、稔の体力はもう限界で覚束ない足取りを甲子郎に支えられながらベッドに入った。 すぐに朝がやってきて、また慌しく用意を済ませると二人で飛行機に飛び乗って。 だから稔は丸一日、甲子郎と一切口を利いていない。 |
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