仮初のつがい鳥
挿話
「こうちゃんは、兄弟いる?」
 校門前に着けていた自家用送迎車に乗り込んで、晃則はおもむろにたずねた。毎日一緒にいるくせに、誕生日や血液型や家族構成など基本的な情報は互いに全く知らない。知らなくても互いを知るのになんら不足はないのだが。
 甲子郎は質問の意図が読めず逡巡したが、フロントガラスへ目を向けたまま淡々と答えた。
「妹が二人いてます、双子で」
 そこで言葉を切った甲子郎には、その二人以外はいないということだろう。
晃則もフロントガラスを流れる景色に目を向けながら、声を上げた。
「へえ!やっぱりこうちゃんは面倒見いいもんな」
 面倒を見られている人間が言うと、これほど滑稽に聞こえることもあるだろうか。思わず噴出しそうになる息と声を抑えこんで、甲子郎は俯いた。
 一方、晃則は甲子郎の顔色を横目で見て取ると、口を尖らせた。
場の空気を読まない晃則だが、甲子郎の顔色は一緒にいることが多いせいか、自然と読むことを体得したのだ。
「あ、なんか馬鹿にした」
 しかし理由までは分からない晃則に、甲子郎はますます息を詰めたのだった。

 駅を一つ移動するくらいであるから、さほど時間は掛からない。
短い時間だったが、二人は兄弟のことを少しだけ話した。
 甲子郎は年子で双子の妹がいることと、晃則も妹がいることを話した。二人とも妹のいる長男なのに、こうも違うものなのかと晃則はこっそり溜息を吐きたい気分だった。
けれど落ち込んだりはしない。自分は自分、他人は他人。何を言ってもせん無いことだ。
 誰が認めてくれなくとも、他でもない甲子郎が自分という存在を認めてくれている、それだけで良いじゃないか。それに決して甲子郎だけじゃない。
「幼稚園?」
 晃則は背後で疑問符を浮かべる甲子郎を尻目に車から降りるとすたすた歩いて行った。甲子郎がその後を忙しなくついてくる。
 到着したのは晃則たちの通う学校から少しだけ離れた場所にある、いわゆるお嬢様学校の附属幼稚園だった。
 ちょうど園児が帰る時間のようで、辺りにはえんじ色のベレー帽をかぶった幼子がお母さんに手を引かれ、友達と手を振り合い別れを惜しんでいた。
 普通の男子高校生にはおよそ縁のない場所であるから、甲子郎は居心地悪そうに晃則を見ていた。
しかしそんな訴えも晃則にはもはや通じない。なぜなら彼は、今から迎えに上がる可愛い姫君のことで頭がいっぱいだからだ。
「みぃ!!」
 幼稚園の敷地に踏み込んだところで、晃則はたまらず呼びかけた。
晃則の目指す一直線上に、えんじ色のベレー帽がぴょこんと飛び出した。同様に左右の結わえた髪がふわりと跳ねる。
「おにいちゃん!!」
 世界で一番可愛い妹が、とてつもなく可愛い笑顔で自分に突進してきたら、ギュッと抱きしめてしまいたくなるのは自然の摂理だ。晃則の持論である。
晃則は小さな妹を抱き上げてそのまま一回転すると、甲子郎へ向き直った。
「その子が利倉先輩の『いいもの』ですか」
 甲子郎は晃則の腕の中からじっとこちらを見てくる幼稚園児と目を合わせた。
警戒心の強い子供は、甲子郎を知らない人間と認識し、晃則の肩口に顔を隠してしまった。しかし若干の好奇心があるようで、チラリチラリと晃則の首の陰から覗き見してくる。甲子郎がニコリと笑うと慌ててまた顔を隠した。
「うん、妹の(みのり)
 普段身内には見せることのない、妹の人見知りを晃則は微笑ましく見守っていると、「だあれ?」と晃則の首に噛り付く妹がこっそりと聞いてきた。
自分の兄の連れであることは分かっているらしい。
「兄ちゃんの親友のこうちゃんだ」
「しんゆー?」
 稔は晃則の言葉の中に知らないものがあるとおうむ返しする。晃則はそれを幼児に分かるように説明するが、それを妹が全て正しく理解しているかは晃則にも分からない。たぶん理解していないことがほとんどで、その時理解したとしてもすぐに忘れてしまうだろう。子供の知能なんてそんなものだ。
 けれど時と場合によって驚くほど些細なことを憶えていることもあるから侮れない。
「一番なかよしな友達のこと。みぃにもいるだろ?いつも一緒に遊んでる子」
「ひーちゃん!」
 今日の説明は小さなおつむにも届いたようで、妹は晃則の腕の中でぴょこんと跳ねた。そして振り返り、いま自分が駆けてきた道を戻ろうと、晃則の腕の中で暴れ始めた。大事な妹を落とすわけにはいかないと、晃則は泡を食って手に力を込めると、そのままゆっくり腰を落とした。
 稔は晃則からまろび出て、一目散に一人の女の子の元へ駆けて行った。
顎のラインで切り揃えられた少し茶色い髪の、あれが稔の一番仲良しらしい『ひーちゃん』だ。毎日、稔の話に出てくる子で、何度か稔を迎えに来たことがあるが、見るのは初めてだった。
「可愛い子ですね、先輩の妹」
 背中に掛けられた甲子郎の声に、晃則は思考を切り上げて機嫌よく振り返った。
「だろ?半分しか血が繋がってないとはいえ、俺とは全然似てなくてよかった」
 晃則の言葉に、甲子郎が複雑な顔をする。人によってはとてもナーバスな問題だからだ。
 しかし物言いたげな甲子郎の唇に、晃則はほろ苦い笑みを返して、あっけらかんと答える。
「今の母さんは後妻でさ、稔は今の母さんの子。俺と妹二人は前の母さんの子で、俺ら異母兄弟」
 けれどその先は、今ここで話すには少し場違いで、そして聞いてもらうにはまだ甲子郎との距離は近くない。いつかは話すときもくるだろう。
 稔が友達と手を振り合って別れている。あの子にも迎えが来たようで、先ほど稔が晃則に駆けて行ったのと同じように、迎えに来た兄と思しき中学生に向かって両手を広げた。
 少年は女の子の広げた両手を握って微笑んでいた。少年は顔を上げて晃則らのいてる方に振り向き会釈をすると、女の子の手を引いて帰っていった。
「ひーちゃんにバイバイしてなかったー」
 そう言って駆け寄ってきた稔を再び抱き上げて、晃則は少年に頭を下げた。兄の視線が向かう先に気付いた稔は自分の友達に向かって手を振った。
「ひーちゃんも、兄ちゃんが迎えにきてたんだな」
 うちとおそろいだ。晃則が稔に笑いかけると、稔は頭がもげそうな勢いで顔を振った。二つに結わえた髪の毛が、晃則の顔に当たって痛かった。
「あのおにいちゃんはいつもひーちゃんをむかえにくるけど、ひーちゃんのおにいちゃんなのってきいたらひーちゃんはちがうよってゆってた」
 要約できない子供の話によると、先ほどの少年は女の子の兄ではないそうだ。だがそれは、隣家の子くらいの関係であろうから、晃則は稔の話を適当な相槌で終わらせた。妹は自分の話を真剣に聞いてもらえなかったと気付き、少々不満な顔をしているようだったが、それよりも晃則が連れてきた見知らぬ少年に興味を引かれたらしかった。
 稔が背後をじっと見るので、晃則はとうとう甲子郎を放置していたことに気付き、慌てて振り返った。
その間際に稔が晃則の肩口で、「めがね」と呟いた。
 妹も彼の印象は、メガネが一番先立つらしい。

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