仮初のつがい鳥
挿話
 晃則は甲子郎のことを呼びづらいからと、「こうちゃん」と呼んだ。人懐こい晃則は誰のことも名前、もしくはあだ名で呼ぶので、はじめは甲子郎も先輩である晃則にまるで十年来の幼馴染のように呼ばれるのには居心地悪そうであったが、周りが気にする様子もないので徐々に慣れたようだった。
 甲子郎の方は、晃則が名前で呼べと言うのにも関わらず「利倉先輩」と彼が卒業するまでの一年間、律儀に呼び続けた。
 甲子郎は非常に頭のいい少年だった。友達の冗談に明るく笑ったり、部活の研究に熱く論議したり、教師の嫌味に怒ったり、それはどこにでもいる年頃の少年と全く変わりはない。
 けれど晃則のとんちんかんな発言を万人に分かるように通訳したり、晃則の言葉足らずに注釈を入れたり、晃則の危なっかしい行動をフォローすることには学校内の誰よりも長けていた。
 なので、部活では晃則の隣にはいつも甲子郎がいた。たぶん部員によって強制的に晃則の世話をさせられていたのだと思うのだが、甲子郎は晃則に対して嫌な顔は見せなかった。
 甲子郎が実際、心の中で何を考えていたのか想像もできないが、晃則は甲子郎に絶大な信頼をおいていた。常人には支離滅裂ともいえる理解しがたい発言を連発して、周囲の友人にしばしば冷遇される晃則は、いつでも自分の発言を理解したうえで答えを返してくれる甲子郎が何よりも新鮮で貴重であった。
 2つも年下だったが、それは懐いていると言っても差し支えのない好意で、夏休みに入る前にはすでに晃則から甲子郎の横へ居座ることが多かった。
 明るく社交的な変わった子と称される晃則だが、彼は決して馬鹿ではない。
進学校に入るほどには勉強は出来る。首席を取るほどの勉強好きではないが、興味を持つものに対しての知的好奇心は貪欲である。しかも天才的なひらめきと人並み外れた集中力があるために、彼は部のホープである。
それに彼の持ち前の人懐こさと明るさで、変人扱いをしていても部員は誰も晃則の友達をやめようとはしない。
 晃則の周りは気のいい友達ばかりだが、その中でもやはり甲子郎は特別だった。周りも晃則を扱えるのは甲子郎だけだと思っていたようだが、円滑かコミュニケーションが取れる唯一の他人という事実のみに限らず、もっと本能的なところで彼に好感を抱いていたのだ。
 これで晃則が女の子であったなら、一目惚れだとか運命の赤い糸だとかのたまって、一直線に甲子郎を求めていたところだったのだが、残念ながら晃則は紛う事なき男子であり、同性よりも女の子に興味津々である。
そういう性的興味の対象としてではなく、一個の人間として、晃則は甲子郎を敬愛していた。尊重し、敬い、いつまでも甲子郎と友達でいたいと思った。

 冬休みも目前の期末テスト最終日。
テストの出来不出来はともかく、勉強漬けの日々から脱却した喜びに校内は満ち溢れていた。
 年末の予定を学友と相談しながら、笑顔を湛えて帰路につく少年たちの雑踏を背景に、晃則は甲子郎に対峙していた。
「たのもー!」
 眉間に皺を寄せて甲子郎を睨む晃則は、河原で決闘を申し込む不良高校生か、はたまた道場破りの素浪人か。
 甲子郎は晃則のしかめ面に疑問を抱いたものの、さほど驚いた様子もなく、一度瞬きをしてから晃則に声を掛けた。
「帰らないんですか、利倉先輩」
「こうちゃんは俺の親友だ」
 甲子郎の声に晃則の告白めいた発言が重なって、二人は互いの発言がうまく聞き取れなかった。聞き返そうかと考えたその間が沈黙を生んだ。
「こうちゃんは俺の親友だ!」
 晃則は苦虫を噛み潰しながら叫んだ。今度は誰の声にもかき消されないよう。
「そうですね」
 甲子郎は微笑を返して首肯した。こうも素直に肯定されるとは思っていなかったので、晃則はしばらく甲子郎を凝視しした後、みるみるうちに頬を染めて照れ笑いを浮かべた。
「そうか、俺はこうちゃんの親友か!」
「そうですよ」
 やっぱり甲子郎は落ち着き払った様子でニコリと笑った。
「それで、何を言おうとしたんですか?」
甲子郎はちゃんと続きがあることに気付いていた。しかし当の晃則は、今思い出したと言わんばかりに我に返って、頬を引き締めた。
「こうちゃんは俺の特別だから、いいもの見せてやる」
 まるで小学生の男児が親友に秘密基地へと案内するように、晃則は甲子郎の手を取って走り出した。

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