仮初のつがい鳥
4−4
「あれは何ですか?」
 役所に行くために迎えに来た甲子郎に、稔は車内で訊ねた。
「え、好きじゃなかった?」
質問に質問で返すのは失礼ではないか。稔はムッと口をつぐむ。
 確かに稔は動物が大好きだ。母親が嫌がるので飼うことは叶えられなかったが、犬や猫を飼っている友達の家に行ってはよく触らせてもらったものだ。
実は甲子郎からもらったあの本も、甲子郎が迎えに来るまで夢中で読み耽っていたのだ。
 嬉しいか嬉しくないかと問われれば、もちろん嬉しいに決まっている。なんて稔の趣味に合ったものをくれるのだろうと、甲子郎でなければ単純に喜んだに違いない。
けれど今聞きたいのは彼の意図であって、もらって喜ぶ喜ばないの話をしたいのではない。
 仮にも婚約者の誕生日に、犬猫の分厚い本を贈る男がどこの世界にいるのだろう。
別に装飾品を贈って欲しかった訳ではないのだが、彼の真意が掴めないので素直に喜べない。
窓の外に視線を移して座席に沈み込んだら、ハンドルを握ったままの甲子郎から笑いを含んだ声が返ってきた。
「昔、獣医になりたいって言ってたのを思い出して、犬や猫が好きなんだろうなあと思ったんだ」
 そんなの言った本人も憶えていない話だ。甲子郎が稔の家に出入りするようになった頃、稔はまだ十歳にも満たない子供で、まだまだ将来に夢も希望もたくさん抱いていた。自分の人生に悲観も失望もしていなかった頃の話だ。
「宝石とか指輪とか、あんまり興味なさそうだから。これでも僕なりに、稔さんが喜ぶものをと思って選んだんだけどね」
ちらり、横目で見たのは稔の指にはまる婚約指輪。
きっと甲子郎は昨日今日つけだしたと思っているのだろう。もらった日から毎日つけてやっているのに甚だ心外だ。確かにさほど興味はないが、せっかくもらったのだし付けてやるのは誠意だろう。
 素直にありがとう、と喉まで出掛かったのに、甲子郎のせいでまた言い出せなかった。居た堪れず手指を絡ませて視線を落とす。
しばらく続く沈黙に、甲子郎が気分を害したのではないかと稔は落ち込む。たった5文字ありがとうと言えば彼の顔色を気にしないで済むことなのに、俯いた彼女には彼の表情を確かめる術はない。

「引越ししたら、犬か猫飼おうか」
 突然の甲子郎の提案に稔は顔を上げた。
甲子郎は別段気にした風もなく、いつも通りで運転したまま。チラリと横目で答えを伺われて、稔は緩く首を振った。
本当の結婚なら、それは願ってもみない提案だ。いつか子犬を飼ってみたいと思っていた。休みの日は公園で一日中犬と戯れて過ごすのだと夢見ていた。
しかし、二人が共に暮らすのは仮初めで、情を深めそうなものは何も置きたくなかった。
甲子郎の元を離れることは躊躇なくても、きっと懐いてくれる小さくてふわふわの健気な生き物には離れがたく思うことだろう。
「あの本だけでいい。……ありがとう、甲子郎さん……」
未来のことを考えると、なんだか気持ちが浮かない。
 その後二人は一言も言葉を交わすことなく、車は程なくして役所にたどり着いた。

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