仮初のつがい鳥
3−3
「私に会っておかないといけない用事って何です?」
 稔は車が走り出してすぐに甲子郎に訊ねた。
「まあまあ、そんなにあせらないで。まずはゆっくり夕食でも食べましょう?」
なのに甲子郎は目を細めてチラと一瞥しただけで、それ以降運転に集中してしまい、稔は深く追求できなくなってしまった。
 微笑ばかりを浮かべて表情の読めない男。一体何を考えているのか。
稔は苛立たしげに眉をひそめて窓の外に視線を投げた。

 そっぽを向いてしまった稔の後姿を視界の端に捉えて、甲子郎は口の端を上げる。
あからさまに笑っては、今も拗ねている稔の機嫌をさらに損ねかねない。
このまま黙って運転に集中するのも良いかと思ったが、窓の外を眺めながら居心地悪そうに身じろぎする後姿を見ると、それも大人気ないと思えた。
「稔さん、高校はもう慣れた?」
 当たり障りのない世間話程度でも、会話すればいくらか気分は変わるだろうと甲子郎は稔に近況を聞いた。
「……ええ」
逡巡の後に返ってきたのは簡潔な答え。
甲子郎は別段気にすることもなく、質問をさらに続ける。
「友達は出来た?」
「ほとんど中学の持ち上がりですから」
稔の学校は幼稚園から短大までのエスカレーター式で、外部から入る者と外部に出て行く者と合わせても全体の2割程度しかいない。
だから周りの友人はもちろん、学年の全員が幼いころから見知っている者同士なのだという。
「勉強にはついていけそう?」
「うちの高校レベルなんて高が知れています。甲子郎さんからすれば小学校の算数ドリル程度でしょうね」
 何だってこんなに卑屈で慇懃な言い方しかしないんだろう。こちらまでちょっと腹立たしくなる。
だけれど彼女の不機嫌のそもそもの原因はとても些細なことで、そんな下らないことに怒って子供っぽいと思う。
実際子供なのだからしょうがないのかもしれない。しかし我慢できない笑いがこみ上げてきて、思わず噴出してしまった。
 稔は驚いて振り返ると眉間に深く皺を刻んで甲子郎を睨んだ。
「何が可笑しいんですか」
さも心外と、軽蔑でもされていそうな眼差しだったので、次々と出てきそうな笑いを急いで喉の奥に引っ込めた。
「いや別に、どうしてそんなに不機嫌なのかな……と」
 理由がわからない訳ではないが、分からない振りをした。
甲子郎はまだ笑みを浮かべたままで、ハンドルを握っている。
彼の言葉に稔は目を瞬かせる。そしてポツリ。
「不機嫌……」
すると甲子郎が鸚鵡返し。
「うん、不機嫌」
 稔はしばし考える。別段不機嫌になった意識はないのだが、そういえば先ほどから意味もなくイライラとしていたようだ。
八つ当たりのようなことを言ったかもしれない。失礼な態度をとったかもしれない。
途端に申し訳ない思いに駆られたが、それも一瞬のことで、甲子郎に対する謝罪の言葉は唇にのぼる前に飲み込んだ。
 甲子郎の微笑が視界の端に写った。
謝るのは癪に障る。

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