仮初のつがい鳥
3−1
 甲子郎と稔の婚約は、意外にあっさりと決まった。
稔の母親は渋っていたが父親の一言で覆された。
「甲子郎君は稔と少し歳が離れているが、稔は四人兄妹の末っ子で遅くに生まれているし、彼くらいの年上の方が安心して任せられるよ。それに彼は今経済界でも注目されている若手経営者だ。うちの稔と結婚すれば利倉電気工業も注目されるだろうし、願ってもない縁談だ」
まさに鶴の一声。母親は手のひらを返すように態度を一変したのだった。
甲子郎の実家に縁談を勧めたのはどうやら稔の父親らしく、話はとんとん拍子に進んでいった。
 式と披露宴は稔が16歳になってから、稔の誕生日の10日後、大安吉日をもって行われることになった。
式次第、様式、招待客など個人で行うものでは最早ないので、稔は全て母親に任せきりにしていた。
母親は一応、稔にも結婚式の細事を相談するのだが、もちろん『一応』で、稔に決定権はなく、聞かれても稔はおざなりに返事をしていた。
そして母親の絶対的な希望により、式は洋式で行われることになったとか。
結婚するのは稔なのだが、そもそも結婚に対して意欲のない稔には何をどうしようが興味がなかった。

 稔の日常は何事もなく過ぎてゆき、中学を卒業し同じ学校の高等部に入学したのだった。
 稔と甲子郎は、半年もしないうちに結婚する当事者でありながら、会うことは全くなかった。
会ったのは婚約を決めた一度きり。
甲子郎は仕事に忙しいし、稔は高校生活に慣れるのに精一杯だった。
母親は、仮にも婚約者が一度も会いに来ないのはいかなることかと憤慨していたが、稔は母親がどうして怒るのかいまいち理解できなかった。
二人には恋愛感情などないのだから、逢ったところで嬉しいわけでもなく、どこかへ出掛けろと言われても楽しそうとも思わない、共通の話題だって一回り歳の離れた二人には皆無だろう。
それならいっそできるだけ会わない方が気が楽だ。
稔は一人で騒ぎ立てる母親を尻目に、今日も送迎の車に乗り込んだ。


 結納が一週間後に迫ったある日、稔が学校から帰ってくると、リビングから笑い声が聞こえた。
母親の高らかな笑い声だったので、不審に思った稔はそっとリビングを覗いてみた。
 そこには甲子郎が居て、母親が手ずから淹れた茶を啜って他愛もない話で母親を笑わせていたのだ。
「お帰り」
入り口に佇む稔を見つけて、甲子郎が振り返った。
「こ……甲子郎さん、どうしてうちに……お仕事は?」
動揺する必要もないのだが、なぜか稔は上手く喋られなかった。滅多に会わない人だから、婚約者といえども人見知りをしているのかもしれない。
「仕事は一段落させてきた。それより、来週の結納前にどうしても稔さんに会っておかないといけない用事が出来たんでね」
じりじりと近寄ってくる稔に、甲子郎は微笑する。
「稔さん、甲子郎さんがこれからお夕食を一緒にどうですかと仰って下さっているのよ。せっかくなんですから行ってらっしゃいな」
 甲子郎の横で母親も笑顔で居る。あれほど甲子郎との縁談を渋って、娘に会いに来ない甲子郎を罵っていたのに、どういう風の吹き回しだろうか。
稔が訝しげに母親を見ていると、甲子郎が湯飲みをコトンとテーブルに置いて稔の母親に笑いかけた。
「芳子さん、ご馳走様でした。芳子さんのお茶、美味しかったですよ」
「まあ、ホホホ、お粗末さまです。これくらいしか出来ませんで、甲子郎さんはお茶のおかわりもうよろしいの?」
それはもう、上機嫌の母親の満面の笑顔に稔は頬が引きつるのを感じた。
 今まで姉達の夫に義母と呼ばれても、眉一つ動かしたことのない人が、甲子郎の世辞一つに頬を染めて喜んでいるのが信じられなかった。

 所詮、母親も女だったかと稔は心の中で溜息を吐いた。

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