仮初のつがい鳥
2−4
「……契約」
 ポツリと甲子郎の口からこぼれた言葉に、稔は自らが口にした言葉を再確認した。
彼も予想しなかった展開に、ただパチパチと眼を瞬いている。
「あなたは私と結婚して、利倉のバックアップを手に入れてください」
 稔は口を挟まれまいとまくし立てた。一瞬でも止まってしまえば崩れてしまいそうで。ただがむしゃらに言葉を紡いだ。
「浮気しても責めません。好いた方がいらっしゃるなら後添いになるでしょうが、子供も認知していただいて結構です。私もできる限りの協力は惜しみません」
「ちょっ……!?」
 さすがに甲子郎も稔の発言にぎょっとして、稔を問い詰めようと立ち上がった。
だがここで止まるわけにはいかない。自分の要求を提示しなければ。
「だから!七……いえ、五年後の離婚届に快く判を押してください」
言い切って稔は甲子郎を見上げる。一歩も引かない強い眼差しで。
甲子郎も動きを止めて、その瞳を見つめた。
互いに眼を離さず、一挙一動を髪の毛一本も見逃すまいと。
沈黙が部屋に落ち、壁に掛けた時計の秒針が時を刻むその音がやけに響いていた。
 先に沈黙を破ったのは甲子郎で、彼は平静を取り戻したのか小さな溜息を一つ吐いて、再びどっかとソファに身を沈めた。
脚を組んで額を手の甲に押し当てるので、表情が読み取れない。
「……五年後、もしくは七年後。あなたが大学を卒業する頃合だ」
俯く影から声が聞こえて、稔は一瞬返事をするのが遅れた。
どこまで見透かされているのか、その通りだがいい気はしない。
しかし稔の返事を待たずに甲子郎は言葉を続ける。
「五年後のあなたが差し出す紙切れに承諾の判を押すのなら、今のあなたは数多いる求婚者の中から僕を選ぶわけだ」
甲子郎は俯いていた顔を上げ、稔を見ていた。
射抜くような鋭い視線だったが、悪意は感じられなかった。水鏡に一粒落ちる雫が波紋を広げるように、彼の声は静寂に響いた。
 怖いという感情はないのに、なぜか圧倒されて稔は声が出なかった。
「あなたの真意が知りたいな、稔さん?」
甲子郎は稔を捕らえたまま返答を待っている。
稔は、知らない間に滲んだ手のひらの汗を握り締め、一度深くまぶたを閉じた。

「誰にも頼らずに生きていく能力を身に付けたいの」
 16歳の高校生は、所詮何もできない子供。
大人の庇護下でなければ生きていけない雛鳥。
「このまま結婚して子供産んで育ててたら、私はあの中でしか生きられなくなる。姉や母のような世間知らずになりたくないの」
だから。
「だからお願いです、甲子郎さん。私が自立できるようになるまで、両親の目を欺く協力をしてください」
子供の浅知恵だと笑われるだろうか。
けれど私にはこれしかない。
「あなたしか、いないんです……」

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