仮初のつがい鳥
2−3
 たぶん2、3年会っていなかったと思われる。
会わない内に随分と表情の読みにくい男になったと稔は内心思った。
 柔和な態度や表情は以前と少しも変わらないが、その笑顔の裏に隠された感情が何なのか稔には察することができない。
笑顔のように見えなくもないが、ただ目元を細めただけのようにも見える。
 利倉の家に来て、稔と一緒に夕飯を食べていた頃の甲子郎は、喜怒哀楽がもっとハッキリしていたし、表裏のない性格だった。
 まるで知らない人を目の前にしているようで、稔は不安に揺れた。
戸惑いは心を萎縮させ、口火を切るのもなかなか難しい。
 来客の向かいに腰を下ろすのは当然のことだが、稔にとってはどこか居心地が悪かった。
じっと見つめられて、稔の考えていることなど全て見透かされているのではないかと思う。
大人相手にこのような契約を切り出して、笑われはしないかと。
大人を馬鹿にして、と怒られはしないかと。
稔は不安に手を握った。じっとりと汗が滲んでいる。
 しかし口を開かなければ何も始まらない。
自分の思いも相手に伝わらないし、相手の意見も知ることが出来ない。
 稔は深呼吸を一つして、甲子郎に対峙した。意を決して息を吸い込む。
「先日、見合い写真が届きまして、その中に甲子郎さんのものもありました」
どのように切り出すべきかと考えた末に、遠まわしに言おうと直球で挑もうとこの人には同じことだと思った。
上手く事を運ぼうと、口先三寸で巧みな話術を展開しようとも、きっと本質を見透かされてしまう。埋められない人生経験の差は、稔の幼い浅知恵では到底太刀打ちできないだろう。
ならば余計な小細工はせぬことだ。聞きたい事を聞いて、目の前の人物が稔の条件に合うかどうかを見極めるだけ。
 しかし稔の葛藤など知らぬとばかりに甲子郎は至極あっさりと答える。
「うん、送ったね。ちゃんと届いてたようで良かったよ」
笑顔まで付け加えられたが、稔が彼を疑って見ているからだろうか、どこか胡散臭い。

「それは、甲子郎さんの意思ですか?ご実家及びこの会社の思惑ですか?」
 甲子郎が稔自身を望んでいるのか、実家を含めた政略として婚姻を望むのか。
そこで初めて甲子郎は笑みを止め、少し考え込んだ。
 ようやく口を開いた時は、少し困った表情をしたが、それが彼の心情そのままを表しているのかというと、甚だ疑問である。
稔は彼が口を開くまで、何も言わなかった。彼が何を思おうと、彼のこの見合いに対する意見を聞きたかったからだ。
暫く沈黙した後に、彼の重い口が開いた。
「半々・・・という所かな」
半々・・・、稔は意味が分からず続きを待つ。
「そもそも利倉の家に見合い写真を送ったのは実家の母なんだ。けれど僕は別に嫌だとは思わない。思う理由がない。世間一般の結婚観は僕らには当てはまらない、結婚には利害は付き物だ。あなたと結婚することで僕は利倉の庇護を受け、この会社の知名度は上がるし、利倉からの契約も増えるだろう」
甲子郎は指折り数えながら稔に語った。
「愛や恋だけでは生きていけない」
それが彼の結婚観。
よく分かった。まさに彼に相応しい考え方だと思った。以前の甲子郎が言ったのならば、似つかわしくないものであったが、今の彼ならば納得できる。
 もう期限は迫っている。母親からは中学を卒業するまでに決めなさいと言われている。卒業式は来月だ。迷っている暇はない。
全く知らない人間に、こんなことは頼めない。甲子郎ならば、ある程度の知り合いであるし家の事情も稔のことも少しは知っている。
彼しかいない。
「甲子郎さん」
 膝に置いた拳を更に強く握り締めた。

「私と、契約しませんか?」
もう、後戻りはできない。

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