かすがい☆大作戦

05.

自宅に到着すると、門扉が自動で開く。敷地内を少し走ると、三木さんは車を屋敷の前に着けた。
「三木さんありがとうございました!」
「迎えありがとう。三木さん」
ぼくと父は三木さんに礼を言い、玄関に向かった。三木さんは折り目正しく一礼すると、制帽を水平にかぶり、車の中に消えた。
「お父さん」
ぼくは玄関に入る手前で、父の背広の裾をつまみ呼びかけた。
すぐに父は応じ、身を屈めてくれる。そこでぼくは父にこっそり耳打ちするのだ。
「今日はお父さんがお母さんを独り占めしていいよ。お母さんに会いたくて紅子さんに早く帰らせてもらったんだもんね」
「かずさ……」
ぼくが笑うと、父は感無量とばかりに言葉をなくして打ち震えていた。
家庭円満のためにも、今はぼくと弟はがまんするべき所なのだ。
きっと仕事がひと段落ついたら、お休みがもらえるはずだから、今のうちに父とどこへ出かけようか計画を立てておこう。すごく楽しみだ。
「だけど、今のお仕事が終わったら、ぼくらともいっぱい遊んでね」
父との休暇を期待に胸ふくらませ言ったら、大人のハートのストライクを当ててしまったようだった。
父はぼくを抱擁すると、感動もあらわに叫んだ。
「かずさ!!なんて出来た子どもやお前は!」
こんなことくらいで男泣きする父は、涙腺がゆるいのか。しかし、どれだけ泣いても軽蔑したりはしないから、感激のままに力いっぱい抱きしめるのは、苦しいので遠慮したい。

父が涙をとめてから、ぼくらは家の中に入った。
「ただいま!」
ふつうなら、勝手に家を抜け出したのがばれていたら大目玉を食らうのは確実だ。
だけど今日のぼくには大義名分があるのだ。しかも母を喜ばせようとして行動を起こしたのだ。そして成功して凱旋したのだ。
これを叱る親がどこにいよう。
しかし――
「こらかずさ!!誰にも何も言わんと、勝手に家を出て行って、お母さんがどれだけ心配したと思ってるの!?」
そうは問屋が卸さない。地獄のえんまさまよりもなお恐ろしい母の、げんこつが飛んできた。げんこつどころか尻もたたかれた。
泣きながら反論すると、争点がずれていると、さらに怒られた。
結局はいつものように、父のとりなしでそれ以上の難を逃れたのだった。
しかし今回は、父も母に賛同するところがあるようで、説教はたやすく終わらなかった。
「お父さんとお母さんのためにしてくれたのは嬉しいけど、心配かけたらあかんのやで」
父はさとすようにゆっくりと丁寧に言葉を紡ぐ。怒鳴らない父の説教は怖くはないが、本気で怒ると誰よりも恐ろしいので逆らったことはない。
「かずさがどこにもいなくなったって思ったお母さんが、どれだけ不安で悲しくなったか、かずさは分かるか?」
父の低い声に、ぼくの目からは自然と涙があふれてくる。
「ごめんなさい、お母さん」
ぼくと同じく涙を滂沱と流す母を見つめて、嗚咽にまみれた声を出した。
「かずさ!無事でよかった!!」
母はぼくをひしと抱き締め頬ずりしたが、これもやっぱり力いっぱいで、ぼくの頬はひりひりとした。痛いのでもう遠慮したい。
父にしろ母にしろ、行動パターンが類似している。うちの両親は似たもの夫婦である。

ぼくの説教がおわってからは、父と母の時間だ。
きっと今朝も顔を合わせたことだろうが、再会を喜び合う両親は、ぼくの目から見ても仲が良い。
叱られても父を迎えにいった甲斐があったというものだ。
「おかえり」
「ただいま」
ぎゅっと抱き合って、玄関先と子どもの前だというのに平気でキスしたりする。
ぼくは気の利く優秀な子どもなので、見て見ぬふりで祖父母の部屋に弟を迎えに行くのだ。

祖父母の部屋があるのは、同じ敷地内の別棟である。短い渡り廊下をこえるとすぐだ。
「お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、あまねを迎えに来たよ」
弟はぼくに人身御供にされたことも知らないで、祖父母の部屋でのんきに昼寝をしていた。さんざん遊んで疲れたのだろうか、少し揺さぶったくらいじゃ起きやしない。
仕方がないので弟が目を覚ますまでのあいだ、祖父母に暇つぶしの相手にでもなってもらおうと、祖母の隣に腰掛けたのだった。
「そういえば、表が騒がしいようだったけれど、尊が帰ってきたのかしら?」
「うん、ぼくが迎えに行ってきたから」
「あらあら、かずちゃんは良く出来た子ねえ」
祖母も母が寂しがっているのを知っていたので、ぼくの労をねぎらってくれた。
「だけど誰にも言わないで出て行ったから、お母さんにすごく怒られた」
「まあ」
「それはかずさが悪いな。ちゃんと謝ったか?」
ぼくは祖父の問いに首肯する。すると祖父は満足そうに一度頷いた。

弟の眠りはかなり深いようで、ちっとも起きる気配がない。
ぼくは弟の寝顔を見ながらしばし考えると、祖父に提案した。
「お祖父ちゃん。今日はぼくもあまねもここに泊まりたいな」
すると祖父母は目を丸くして首を傾げた。
「尊が帰ってきているのだろう、一緒にいたくないのか?」
「大丈夫。今日はお父さんとお母さんを二人きりにしてあげる日なんだよ」
「あら」
ぼくの言葉に祖母は声をあげ、それからいそいそと内線電話のほうへ向かった。
「良い子もほどほどにな」
「大丈夫。お休みになったらいっぱい遊んでもらうから」
祖父の大きなてのひらが、ぼくの頭を覆う。向こうのほうで祖母が、内線電話を使い母屋の両親に、ぼくらをひと晩あずかるという旨を伝えていた。
ぼくはソファに身を沈めながら、弟が目を覚ましたらきっと母のもとへ帰りたがるのを、どのように説得しようかとひとり思案していた。

いつのまにかうとうとしていて、誰かに揺さぶられぼくは目を覚ました。
「にいに、にいに」
ぼんやりした視界に写ったのは弟の顔だ。
ぽっかり開いた口から垂れていたよだれをすすって、ぼくは弟の顔を凝視する。
「起きたか、かずさ」
声のしたほうに首を回すと、父が笑っていた。
「ひとりでお父さんの会社まで来て、疲れたんやな」
そういって父はぼくの頭をゆっくりなでる。いまだ半覚醒のぼくは、うっとりと父のてのひらを享受していた。
「まーも!まーにもなでなでして」
弟はぼくをうらやましがって、父の腕にからみ付く。父は嬉しそうに笑って、弟の求めに応じる。
「お父さん、ぼくらお祖父ちゃんとこにいたよね?お父さんはお母さんを独り占めするんじゃなかったの?」
玄関で約束した内容と、父がぼくらの前にいることに首をひねった。よくみるとここは祖父母の部屋ではなく、母屋のほうではないか。
「お祖父ちゃんとこから誘拐してきた」
くつくつと父はのどを鳴らして笑った。
ぼくはリビングのソファの上、父の膝を枕にして寝ていたようだった。父の反対隣は弟が占拠している。
「お母さんも独り占めしたいけど、お父さんはかずさもあまねも独り占めしたい」
父は両手にぼくと弟を抱え上げ、膝の上に乗せた。後ろから抱き締められて、弟は嬉しそうに奇声をあげている。
「お母さんは?お母さんはお父さんを独り占めしたいよ、きっと」
だからぼくらは遠慮したほうがいいのだ。だけど父の膝の上からは離れがたいのもまた事実。
「お母さんは、かずさとあまねを独り占めするお父さんを、独り占めしたいって」
ぼくの頭上に疑問符がいっぱい浮かんだのは言うまでもない。
理解できないでいるぼくに、父は笑みを浮かべていた。その背後から声がかけられる。
「お母さんはさっき、お父さんにうんと甘えたから、もういいの」
リビングの入り口に、母が仁王立ちしていた。もう寂しそうな顔はしていなくて、父に抱っこされるぼくたちをみて、すごく嬉しそうに微笑んだ。
「お夕飯できたよ」
弟は父の膝から飛び出して、あっというまに母にすがり付いて行った。
ぼくも父の膝から下りると、父と手をつないだ。
「今日は一緒にお風呂入って、一緒に寝ようか」
もちろんお母さんとあまねも、と父は付け足してにこりと笑った。
ぼくも頬が緩むままに笑って、勢い良くうなずくのだった。



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