Before love

09.

指に絡むことなくすり抜けていく少しだけ茶色い髪の色。
一房手にとって滑らせると、思いのほか短い長さで途切れる。
以前会った時は背を流れる長さで、月の光に当たってキラキラしていた。
その長い髪に指を絡めてみたいと強く思ったものだけれど、短い髪の彼女はもっと以前の、僕のことを「あーちゃん」と呼んでいた頃を彷彿とさせてなんだか微笑ましい。

あの頃の小さな子供はこんなにも大きくなってしまった。
幼い彼女と大きくなった彼女が同一人物であると、頭では分かっているけれどいまいちピンとこない。
僕の恋する彼女が、小さいふみだったから僕は恋してるわけじゃない。だけれど小さいふみだったからこそ、彼女のことを好きになったのかもしれない。
恋する彼女の過去を知っているだけで、今は何も知らない。小さいひふみは時を止めて幼いまま僕の中にある。けれど腕の中の彼女は小さいふみの面影を残して、一人の女性として僕の心を占める。

根底にあるのは同じだけど違う愛情。



マンションに到着したのは良いけれど、ふみは相当深い眠りについてしまったようで、揺すっても叩いても起きる気配がない。
昔から本能に忠実で、寝汚い子ではあったけど・・・。
ふう、と溜息を一つ吐いて春コートを身体に掛けたまま、ふみを担いだ。
さも誘拐犯のように、荷物のように。
横抱きにすると両手が塞がってしまうので仕方がない。担いだ方が腕も楽。
どうせ彼女は憶えていないだろうから、聞かれた時は横抱きに運んだと言っておこう。
横抱きは女の子の憧れだって言うし。うん。

なんとか家に辿りついて、靴も鞄もその辺に放り捨てる。
寝室のベッドにひふみを横たえ、僕は酔い醒ましに台所へ移動した。
高良の勢いに流されていつもより結構飲んだかもしれない。
随分眠気が迫ってきているので、風呂に入るのは明日の朝にして今日はもう寝たい。

冷蔵庫から水を取り出して喉を潤す。アルコール摂取に乾いた身体が満たされていく。
シンクにペットボトルを置いて、ネクタイを首から引き抜いた。
「あー、ネムイ。」
静かな部屋に声がやけに響いた。今この部屋に、僕以外の人間がもう一人いるのに気配のしない静けさで。
またそれは僕の片恋相手で。
そんなことを考えるとなんだかおかしな気分だった。
ちゃんと向こうの家に挨拶に行って、そこで再会するはずだったのに、全く予定外だ。昔からそう。ふみはいつだって、僕の思わぬ行動をとる。
走り回ってやんちゃして、危なっかしくて目が離せなかったのを憶えている。
これからも、きっと。昔以上に目が離せない。

寝間着に着替えてペットボトルを掴んで寝室に顔を出した。
今晩はソファで寝るつもりだけど、ふみの様子が心配だから。

「ふみ。」

声を掛けたのは、彼女が起きていたから。
ベッドに腰掛けて、靴下を脱いでいた。
なにしてんの?
首を傾げつつ、彼女に近寄ったら彼女は顔を上げて「熱い」と唸った。
素足になって満足したようで、へらっと相好を崩した。
僕は頬を熱くさせながら、彼女のほうにペットボトルを差し出す。
飲む?
ふみは是と頷いて僕の手からペットボトルを受け取った。
だけれど酔っ払い力が入らないのか、蓋を開けようとして指が空回りする。眉をしかめて再度挑戦するも、動きがおぼつかない。
僕はその様子を彼女の隣に座って眺めていた。
すぐに諦めたのか、ペットボトルの蓋を凝視して暫く黙り込んだあと、彼女は僕にペットボトルを差し出した。
ああ、昔もよくお菓子の袋とか、ビンの蓋とか開けさせられたなあ。
以前と変らない状況が微笑ましくて、頬が緩む。
蓋を開けて返してやれば、無言でペットボトルを傾ける。
こくこくこく
規則正しく上下する白い喉に、噛み付きたいほどの熱情を煽られたのは、きっと僕にもアルコールが回っていたせい。


気がつけばペットボトルがベッドの下に転がって。
彼女の唇は、酒の匂いがした。





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