Before love

07.

支配人は僕の言葉に眼を細めて「ああ、では貴方が噂の『お子さん』ですか。」と口元に手を当てた。訝しがる僕に、昔あちら様にお伺いしまして。と愉快そうに笑われた。
どうやら支配人は佐想の小父さんと昔馴染みらしい。その関係で彼女にも無事を願う情があるのだろうか。

「こちらです。」
僕は支配人の後ろについて、紅い絨毯の上を歩く。
広い店内の奥に、個室になるよう仕切られた一角がある。扉はないが、間仕切りの向こうは意外と防音がなされていて中の様子を窺うことは叶わない。
「私どもが望むのは保身ですから、ただの少女が一人、当店に迷い込んだとてそのことをただ世間に露呈しなければそれで良いのですが。」
迷い込んだ娘さんがどうなろうと、保身のためには見て見ぬ振りもする。だけれど佐想の娘ではそうもいかない。
この店に来たことすらもなかったことにしなければ、きっと佐想に取り潰されると思っているのだろうか。
「ですから、水流様。もしもあちら様が当店にお怒りになるのでしたら、その時はお取次ぎお願いいたします。」
私どもは、お嬢様を救出するのに力を貸した。と、口添えしろと言うことか。
佐想の小父さんはそんなことで怒らないと思うけれど・・・。
とりあえず頷く。
支配人は安堵の息を一つ吐き出して、僕を件の個室に案内した。
「では私はこれで、御武運をお祈りしております。」
支配人は頭を垂れて去っていった。

僕は迷いなく足を踏み入れる・・・。




「じゅうはーちばーん!さそうひふみ、兄弟船うたいまっす!!!」

ゴンッッッ


そこそこに緊張して足を踏み入れたのに、僕の予想を裏切るような明るくはしゃいだ声に眩暈がして頭をしたたか打ち付けた。倒れかけた先にあった柱で・・・。
頭痛がするのは気のせいではないはず。
呻いて顔を覆った指の隙間から「かみの〜まにまに〜いのちのはなが〜」と歌う彼女の姿が見えた。なんとまあ、気持ち良さそうに歌うこと。
波の谷間に・・・だろう。百人一首のひとつと混同してると見た。
周りの酔っ払いはそんなこと気にするでもなく、やんややんやと騒いでいる。
・・・しっとり落ち着いた雰囲気の大人の高級クラブじゃなかったのか、ココ・・・。
確かに表はそんなだった。なのにちょっと奥に入り込んだら、どこの場末の飲み屋だ・・・。
そこらかしこに赤い顔の酔っ払いが転がっていて、もう無法地帯もいいところだ。
「お!?オニーチャンも入るか〜?ウチのひふみちゃんをちやほやしようの会!さささ、酒飲みねえ!!」
入り口に突っ立っていたら僕の存在に気付いた酔っ払いのオッサンに絡まれた。
ちやほやしようの会・・・。
ネーミングセンスが皆無。会の趣旨がまだ可愛げがあるから許そう。
けど・・・。

はあ。

はあああああああああ。

思わずこぼれる溜息。
こぼさざるを得ない。

僕に気付きもしないで、オッサンの輪の中意気揚々と鳥羽一郎を歌い上げる彼女が憎らしい。
人の気も知らないで。
沸々と湧き上がる怒りは、心配の裏返し。
喉元までいっぱいになったら吐き出すのは自然の流れで、口をついて出た声は自分でも予想外に『怒声』だった。

「ふみ!!!!!!!!!!!」


僕だって、怒鳴ることはある。
たまに。





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小倉百人一首『此の度は幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに』菅家