Before love

06.

アルコールを含んだ身体は、手指の末端まで火照っていたけれど、一瞬にして体温が下がったようだ。
心なしかグラスを持つ手も震えて、心臓は胸を焼きつくほどの焦燥に、殴られたような感覚を覚える。
高良は相変わらず隣でうるさく負の感情を振り撒いて、接待するホステスに若干引かれている。酒の入った本人はそんなこと知る由もなく、僕らの品位を下げていることに気付きもしない。
あとで今日の僕らの噂を聞いた見家のじーさんにネチネチ小言をもらいそうだ。
高良だけにしといてくれよ、僕は関係ない・・・と、言いたいところだけれど、これから僕も家の名に泥を塗るような奇行をしでかす。・・・かも。

「おい、尊?一体どうし・・・」
グラスを置いておもむろに立ち上がった僕を、酔っ払った高良は訝しげに見上げた。
トイレだとか思っといてくれたほうが良いんだけれど、そこは長年の付き合いからか僕の様子がおかしいと気付いているらしい。
「悪い、高良。急用を思い出したから帰るよ。」
僕は中途退場の常套句を残して席を後にした。高良の引きとめる言葉にも取り合わず、僕は意識を店内に集中させる。
どうにかして、声の出所を突き止めなければ。
聞き違いであればそれでいい。勘違いであればなおよし。
だけれど僕の直感は、激しく鼓動を騒がせる。

めぐらせた視線の先に、数人のホステスと黒服の支配人らしき男が集う一角があった。
暗がりで眼鏡のない僕には彼らがどのような表情をしているのかはハッキリ分からなかった。だけれど困惑を浮かべる雰囲気は見て取れる。
「あの、」
僕の呼びかけにすぐさま対応したのは支配人。従業員のトップに立つ彼は誰よりも接客に秀でている。
「どうかなさいましたか、お客様。」
確かにその場に流れていた雰囲気を、今、微塵も感じさせない朗らかな微笑でもって遮られ、支配人は僕の前に立つ。店のトラブルを客には気付かせない。彼の背に、今『トラブル』は隠されたようだ。
だけれど僕は確かめなくてはならない。
この店を仕切る彼ならば、僕の必要な情報も持っているのだろう。
「さっき、この店に女子高校生が入りませんでしたか。」
支配人の微笑が瞬時に固まり、双眸が細められた。
「水流様?当店は大人が楽しむための場所でございます。未成年者がいるはずもございませんでしょう。」
しまったな。
直球で聞きすぎたか。警戒されてしまった。
さて、次をどう出せばこの警戒を解いて僕の味方になってくれるだろうか。
「さあお席にお戻り下さい。水流様には当店最高のおもてなしをさせていただきましょう。」
その代わり、首を突っ込むな。・・・ということだろうか。
けれどこのまま引き下がれるわけもない。彼らの反応が何よりも物語っている。
隠し立てすること、それは僕の言葉の肯定を意味する。
「もし、あなた方がお困りでしたら、私はそれを極力穏便に解決することができます。」
勝負に出るしかない。支配人が、僕の言葉に瞠目する。
「私はとある女の子を保護して彼女の家に送らないといけないんです。」
無闇に彼女の名前を出すことは憚られる、支配人にはこれで通じるだろう。しかし彼らが僕の話をどこまで信用するのだろう。
もう彼らの判断にしか任せられない。
「・・・水流様、確かに私どもは花を一輪招き入れましたが、それは私どもの本意ではございません。できればお連れ頂いたお客様より早急かつ穏便にお別れしてお家にお送りして差し上げたいと思っております。」
ここは年若い方に相応しい場所ではございませんからね。と、支配人は顔に出はじめた皺を深くする。
「ですが私どもではお客様方から穏便にお放して差し上げることがかないません。このままでは澪標(みおつくし)の方の逆鱗に触れることになりますでしょう。どのようにかして、『波の花』の安全を守って差し上げたいのです。」
僕にそれができるのか、と支配人の瞳の奥が問いかける。
花を一輪、浪の花。澪標の。
佐想の小父さんが大阪出身であることは有名で、澪標は水運で繁栄してきた大阪の市章ともなっている。そして『波の花』と称した一輪の花。
きっと昔のままに、大阪弁でも喋っていたのだろう。
僕の聞き違いではなかったのか。彼女は今正にここにいる。
気付いたとたんに眩暈がしたが、倒れている場合でもない。
僕はこの店を味方に付けなければならない。そのためには彼女を保護する正当な理由を挙げて目の前に居る支配人の信用を勝ち取らなければ。
「彼女は・・・」
水流の息子が佐想にどのような義理があるのか、世間に知られているわけもなく。
佐想の孫娘を僕が保護する正当かつ分かりやすい理由。


「私の婚約者なんです。」


近い将来そうなる・・・予定。





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波の花=浪花=大阪。みおつくしは大阪市の市章。