Before love

05.

酒には弱い、それは断言できる。
だからといって酒が嫌いなわけではない。すぐに酔っ払ってしまうけれど、酔った時の気分が高揚する感覚は割りあい好きだ。

高良が僕を引きずって行った店は、確かに会員制のクラブで落ち着いた雰囲気の、侍る女の子も洗練された、高級勘漂う所だった。
見家のじーさんが好きそうだ・・・。
そう思ったら、やっぱり会員だという。新しく出来たところだと聞いたはずだが、すでにチェック済みとは、呆れて物が言えない。
席に案内されて、一時間も経たない内に高良は豪快にボトルを何本も開けていく。
僕と違って高良は酒に強いけれど、この飲み方はいつもと違う。きっとストレスでも溜まってるんだろうなあ、もう少しして落ち着いてきたらグチが始まるんだろうなあ。
今はテンションが急上昇している高良の横で、僕はそんなことを考えながら飲み過ぎないように自制してちびちび飲んでいた。
学生の頃は前後不覚になるほど飲んだ時もあったけれど、今はそんなことも出来ない。一社会人としてのマナーを考慮しての事もあるけれど、なくした記憶に付け込まれてどんな醜聞を作られるかわからない。ライバル会社は数多いるのだから。
若くして大会社の管理職に就く高良や僕は、メディアの露出が多い会社の顔であり、信用そのものでもある。ビジネスは信用なくしては成り立たない。
僕の信用が失墜すれば、それは会社への多大な損害になる。
だから会社に入ってからの僕は、学生の時以上に素行がよろしい。
ちなみに、信用云々のくだりは僕が尊敬する経営者、佐想源五郎氏の教えである。

店のナンバーワンホステスも侍って、あれやこれやと酒を勧めてきたが、僕はそれを曖昧に断り無理から注がれたグラスは高良のグラスとすり替えておいた。
次々にグラスを空ける高良には丁度いいだろう。
どうせ最後は僕が面倒見なければならなくなるんだから。その為に連れて来たんだろ。
ナンバーワンのホステスは、違う席に呼ばれて席を立つ。
人気者は忙しいものだ。
名残惜しそうに声をあげる高良を横目に、僕はグラスを傾けた。

しばらくすると高良が最近の不平不満を語りだす。あー、やっぱり始まったか・・・。
僕は適当に相槌を打ちながら、店内の音に耳を澄ます。

高級会員制クラブと銘打ったこういう場所には、良い意味でも悪い意味でも顔見知りが必ず数人いる。
現に祖父も会員だとかいうし、何某会社の社長だとか、専務だとか、ライバル会社であったり取引会社であったり、芸能人や政治家、違う畑の顔だけ知ってる人だったり・・・。
そういうのを見つけては弱みになるような失態をしでかさないか、観察するのが好きだったりする。高良に言わせると悪趣味極まりないそうだが、こういうところで有能秘書と気が合う。
こっそりと視線をめぐらせて店内の様子を見たが、薄暗い間接照明の中では人の判別さえ難しい。
さて、弱みを握れそうな著名人はいないものか。耳を澄まして、落ち着いているが決して静かではない騒音に耳を傾けた。


「----------・・・・・・----・・・---」
「・・・-----・・-------」
「・・・--------さ・・ぅ・・-----」
「--------・・・」

常を装う為に傾けていたグラスが止まる。
何・・・?
聞き違いだろうか。
本来人間は、周囲の環境の中で自分に必要な事柄だけを選択して聞き取ったり、見たりするように脳が働くものなのだ。
こういうのを「カクテルパーティー現象」と呼ぶけれど、僕の「必要な事柄」には当然彼女のことも入っているわけで。

さそう

と、聞こえた。
「佐想」だけならば別段驚きはしない。いくつもの会社を抱えるグループ会社の話題など、誰かがどこかで必ず喋っているような話題だから。

僕の脳裏に蘇るあの夏の夜。
戸惑いがちに震える声。
僕の耳朶を打ったのは、その声。

こんな所で聞こえるはずはないと、
僕の聞き間違いであって欲しいと。

けれど僕の胸の内は何かを告げる。
背筋を這う、猛烈な不安。

「------さそう ひふみ------」


今度はハッキリと。

それは紛れもなく。

彼女の声。





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