Before love

03.

とうとう吹き出して、ひとしきり爆笑し終わったマルベニは、息を調えた後涙を浮かべたまま僕に尋ねた。
「それで?どこの誰よ、アンタみたいなボーっとしたのに見初められちゃったカワイソウな女の子は?オネーサンに聞かせてごらんよ、どうせまだ付き合うまでも行ってないんでしょ。」
なんだってこんなに勘がいいんだろう。こういうところは本当に頭が上がらなかったりする。なんだかんだで、学生の頃から色々と世話を焼いてもらってて、頼りにはしてる。
でも図星を指されてムッツリ押し黙る。
いい歳して中学生に片思いだなんて、あまり言いたくない話題だから。
黒い革張りの重役椅子の肘掛に体重を乗せると、深い音を立てながらわずかに左に傾いだ。

「佐想グループ建設部門担当、『佐想建設』代表取締役社長、佐想友三。」

マルベニの突然の発言に僕はビクリと肩を震わせた。そして見る。
悠然と笑って、有能秘書は有能過ぎる能力を発揮した。
「愛妻家で有名な方で、お亡くなりになった奥様との間にお嬢様がお二人・・・。」
記憶を掘り出すように、天井を仰ぎながら僕の核心に近づく。
「長女のひふみさんは現在中学3年生の14歳。次女のみつこさんは小学5年生の11歳。さあ、どっち?」
・・・どっちだなんて、聞かなくても分かるだろうに。あくまでも僕の口から言えと、笑顔の催促。
有能すぎるこの秘書の脳ミソには、経済界での著名人の名前はおろか家族構成まで頭に入ってるらしい。佐想家ほどの家名ならば娘の名前や年齢まで、インプットされているのか。特に佐想家は僕と浅からぬ縁じゃないから、憶えているのかも知れないけれど。
「長女の佐想ひふみさん14歳。」
確信犯はしたり顔、僕は苦虫を噛み潰しヤケクソのように、彼女のフルネームにわざわざ年齢まで付けて告白してやった。
そうだよ、24歳のいい歳した大人が14歳の中学出たての女の子に恋慕してるんですよ。
悪いか。
じっとりと睨みつけると、マルベニは鼻で笑って僕の額を拳で押した。
「やっと気付いたか、この鈍ちん。」
秘書の言葉に僕は目を丸くするしかない。
気付いたか・・・って、じゃあマルベニはいつから気付いてたって言うんだ。本人さえも分からない心の機微を。
僕の言葉は声にはならず、唇の上で空回りするだけ。
けれど、やっぱり有能すぎる秘書はここでも有能で、僕の言いたいことを余すことなく拾ってくれる。
「アンタが佐想友三氏の奥様の葬儀に出た話してくれたでしょう。」
首肯して、黙って聞くことにした。
「アンタ、昔から目の中に入れても痛くないほど可愛がってた女の子が大きくなってたって、そりゃあもう嬉しそうに言ってたんだけど。」
確かにマルベニには葬儀の時、彼女に再会した時のことを話した。単純に、親戚の小父さんが「あんなに小さかったのに、大きくなったね〜。」と感嘆する真理で話したと、そういうつもりだった。でも有能秘書はその僕の心の変化に気付いてたのか。
・・・知ってたんなら・・・
「私の口出しすることじゃないでしょう。分かっててあの女と婚約解消しないんならそれでいいと思ってたんだけどね。」
やっぱりアンタは昼行灯だ。
秘書の罵りに僕は否定の言葉を紡げない。


「しかしまたどうした心境の変化でしょうね、水流尊さん?可愛い可愛い妹みたいなポジションなんじゃなかったの?」
取引先へ向かう車の中で、秘書は僕に書類を手渡しながらさっきの続きを振った。
マルベニには何度か佐想家の話をした事がある。
幼い頃から憧れていた、佐想の会長とその家族。いつからか親しくなった関西弁のお姉さんと、彼女の夫になった友三さん。二人の娘で生まれたときから、生まれる前から知ってる、ひふみ。
ふみ。
マルベニに話した時は、彼女は思い出の中のまま幼い姿の可愛いふみだった。
僕には弟妹がいなくて、生まれて初めて見た赤ん坊でもあった。物珍しくて、可愛くて、彼女に会いたくて足繁く佐想家に通ったものだった。
四六時中一緒にいては、僕を困らせるワガママも嬉しくて、一つ一つの仕草さえも愛しかった。ついつい甘やかしすぎて、彼女の母親にはよく怒られたものだけど、彼女は僕にすごく懐いてくれていた。
「そりゃあ、僕があそこの家に通ってた時なんかあの子は4〜5歳の幼児だったし、歳の離れた妹としか思いようがなかったよ。」
生まれた時から傍で見てるんだ。
けれど、
「でも、長い間会わないうちに、すっかり大人っぽくなって、」
ずんぐりとした幼児体型だったのに、すらりと細い身体と手足。
長くてサラサラなびく、真っ直ぐな髪。
色の白い小さな顔に、流れる涙、色づく唇。
知らない間に顔が熱くなる。
「見違えた。」
面影はあるけれど、鼻水垂らしてた幼い頃とは結びつかないくらい、綺麗になってた。
いつまでも幼い子供だと思い込んでいた女の子が突然”女性”になっていたから、愛しい気持ちはそのままに、綺麗な彼女に心捕われた。
「それくらいの年頃の女の子は成長期だしねー、どんどん変っていっちゃうもんよ。ほんの一年見ない間にも、ずいぶん印象が変ってしまうもんだからね。」
そういうものなんだろうか。
秘書は隣でブリーフケースを閉じる。もう一つ書類を手渡し、前の書類を受け取って捲りだす。
「アタシは別に、良いと思うけど。」
書類の内容が、ではなくて。
「家柄も申し分ないし、全く知らない間柄でもない。アンタの話を聞く限りじゃ、人柄も問題なさそう。問題があったとしても若いからまだ修正も効くでしょうし。歳は少し離れてるけど、時間が解決してくれる。」
なにより------
「アンタが惚れてる。」

隣で笑んだ内丸紅子の表情は、嫣然としていたが、僕には何よりも格好良く見えた。





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