41.眠り王子


夏休みに入っても、私はお休みだけれど彼は社会人だから、「夏休み」なんて関係がない。
だから私ばっかり暇をもてあまして、二人の時間はちっとも変わらない。
けれど尊さんは変わらず夜になると電話をくれる。
「終戦記念日はいつも何してる?」
おもむろに聞かれた話題に首を傾げる。
「特に、何も?」
大体の日本人はそうではなろうか。確かに日本人として大切な日ではあるけれど、だからと言って特別なにかをしに行くようなことはない。
「何かあるんですか?8月15日って。」
おデートのお誘いですか?それにしてはまだるっこしい言い方。
いつもデートは直球でお誘いしてくれるのに。まるでおデートだという感覚もないかのごとく。

「・・・僕の誕生日なんだ・・・。」

コラーー!!そう言う事は早く言えっちゅーとるやろが!!!
何を照れた声を出してるんだこの人は!しかもそんなところがちょっと可愛いとか思う私も重症なんだな、これが。
「もう8月に入ってるのに、私ったら尊さんの大切なお誕生日も知らなかったなんて・・・・!!」
彼女失格!!と、殊更ドスの利いた声で言うてやった。紅子さん直伝、密かに教えてもらってたのよ。
「別に、前々から知らせといて、何かプレゼント要求してるみたいで嫌だったから・・・言わなかったんだけど・・・。」
紅子さん直伝の言い方には動揺の欠片すら浮かばせず、普通の受け答えをする。さすが長年の耐性はあなどれん。
もういいや、通じないことは分かったので普通に会話しよう。
「今更言われても、それも困るんだけど。前々から知ってたら、私だって尊さんに何あげようとか色々考えたかったのに。プレゼントくらい要求してよ、いつも貰ってばかりじゃ悪いもの。」
私だって尊さんを喜ばせたいって思うのよ。
いつも私に合わせてくれて、私の要求ばかり押し付けてるんだから、尊さんのお誕生日くらい何かしてあげたい。
「ふみ・・・。」
感極まった声が受話器の向こうに聞こえる。
「じゃあ、一日中一緒にいてくれる?朝から晩まで。」
は。
「尊さん、仕事は?」
「もちろん、有休とってるよ。」
管理職にも有休とかあるもん?っていうか、あの、その。
「居てくれるだけでいいんだ。特に何も望まないし、何もしないから大丈夫。」
私の考えなんてお見通しで、顔から火が出る思い。
でも、居てるだけでいいって言うのもなんか・・・。
「休みの日はいつも出かけるだろう?たまにはゆっくりしたいし、ふみともっと一緒にいたい。」
うっわ・・・殺し文句。顔が熱くて言葉が出ない。
きっと向こうで彼は私の大好きな笑顔でいるんだろう。私が欲してやまない優しい笑顔。
「・・・・・・うん。」
笑顔はきっと伝染して、私に嬉しい笑顔をもたらす。

受話器を置いて、嬉しさに心が軽い。幸せは今正にここにある。
15日が待ち遠しい。





例年通りの炎天下。セミの声がうるさく響くのがかえって夏らしさを引き立てるけれど、昼日中では暑すぎてセミも鳴かない。これも異常気象の一つかもしれないと、直射日光の中、日傘を差しながらアスファルトをひた走る。
朝からおいでと言われたのに、朝から行こうと思っていたのに、明日のことを考えてなかなか寝付けなかった昨日の夜。
まるで遠足前夜の小学生のように、興奮して寝られなかったのよ。
気付けば尊さんの家に着く予定だった時間に起床。
自分の失態に溜息も出てこない。
慌てるどころか逆に冷静な思考で、いつもの朝より手際よく支度を済ませたけど、きっとあちらに着くのは昼前になる。
とほほ。
お詫びの電話を入れたけれど、尊さんは取り込み中か電話には出なかった。

オートロックの扉の前で、いつも通りにインターフォンを押す。
けれど今日は彼の返事が返ってこないまま、扉は開いた。
いつもと違う、日だった。
けれど私は気付かない。

「尊さん?」
彼の部屋に入って靴を脱ぐ時に心臓が鳴った。
知らないパンプス。
私のであるわけがない。
それから動悸が止まらない。
手の冷えも止まらない。
息も心なしか苦しい。
ねえ、応えて。私、来たよ。尊さん。

廊下を突っ切って、リビングへの扉を開ける。
昼間は照明を点けない部屋に、人の気配はする。
窓から取り込む光が全てで、逆光によって彼の影は鮮明でなく、けれどソファに横たわっていた。
なんだ、寝てたの。

身動きをとって起きだした影は、しかし彼のものではなかった。
逆光によってシルエットが浮かぶ。
洗練された身のこなし。
大人のスタイルだ。
今の私がどんなに背伸びをしても、到底手に入れられない大人の女の人。彼に釣り合う大人の女性。
彼女は私のほうを見ていた。ぞくりと肌が粟立つ。
近づく彼女に私は一歩後退った。もちろん紅子さんじゃないことは分かる。背の高さも髪の長さも、空気も違う。
肌を突き刺す敵意の空気。
「佐想・・・ひふみさん?」
先に口を開いたのは彼女。細い小さな声に私は動揺を隠せない。
「・・・あ・・の・・・?」
「しー・・・。」
人差し指を自らの唇に立てたあと、その指が促したのはいつものソファ。
さっき彼女がいたソファ。
小さな寝息を立てる、彼の姿・・・。


心臓に諸刃の剣を突き立てられた。







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