35.失恋レストラン


制服に着替えてくるから先に行っててと、指定された場所は、葎屋さんの学校から最寄り駅までの通学路からは少し逸れた路地裏にあるひっそりとした喫茶店だった。
昨今はやりのカフェではなく、レスカとか冷コオとかが出てくる喫茶店。
ちなみに私は人通りからは見えない奥の席に陣取り、レスカことレモンスカッシュをちびちびち啜っていた。
ここのレモンスカッシュ美味しいな・・・、きっとミックスジュースも美味いに違いない。じゅるり・・・。

などと、育ち盛りの乙女に相応しい、色気のない思考をめぐらせていたら、入り口のベルが鳴った。
木枠のドアの上部にカウベルみたいなのが付いてて、開閉すると「かららんころろん」と小気味良い音がするのだ。
そしてカウンターでグラスを磨くマスターが、ひげを生やした口で「いらっしゃい」と低音で言うんだ。
イメージしたとおりの「喫茶店」ですね、ここ・・・。
そして、ベルの音を背景に入店したのは待ち人。

出入り口できょろきょろと私を探していたので、手を挙げて存在を主張。
心得たりと近づく途中でカウンターのマスターに「アメリカン一つ。」と。
まるで常連客のようではあるまいか。
「ごめん、待たせたね。」
「いいえ、それほど待ってません。急いで来てくれたんでしょう、息が荒い。」
本当は待ち合わせの常套句、「今来たところ☆」を使いたかったのだけれど、そんなわけないのは明白なので、見え透いた嘘は言わない。冗談言える相手でもないので言えない。
そして相手の機嫌を窺うように、下手な気遣いをする小心者の私。
そしてそんな私を待たせまいと走ってきてくれた葎屋さんの育ちの良さに感服。

「ここはうちの生徒はあんまりこない所だから、よそ行きの振る舞いしなくてもいいよ。佐想さん。」
お嬢様は疲れるでしょう?とやっぱり爽やかに笑うんだけれど、そこはかとなく漂う負のオーラが痛々しい。
「もう、ほんと。明日学校でなんと言われるやら・・・。」
はーっと吐き出す溜息に、レスカを吸い込む息が止まった。
うぐっ、申し訳ない・・・。
「俺の立場から言えば、あんなサイアクの断り方しといて今更なんなの?って感じなんだけど、アナタも貴方なりの事情があるんでしょうか?」
う〜〜、言葉の端々に棘が含まれているけれど、こちらに非があるので致し方ない・・・。
しかし言いっぱなしにされている私でもない!
「私だって、今回の見合いの話を聞いたのは前日なんです・・・。しかも相手が誰だとかは一切知らされず、あの日が初公開ですよ。」
むくれて自己弁護をした私に葎屋さんは眉間を寄せて見せた。
「俺はキミが俺のこと好きだって聞いてて、見合いもほぼ決定の話だって言うから必死に悩んだ末に承諾したのに。実際に会えばキミは逃げ出すし、俺のこと大嫌いだなんていうし、挙句の果てには別に男がいるし、最終的には破談になるし、話が違うじゃないか!って叫んでやりたいんだけど。」
もうすでに叫んでます。
一方的に言われるのは好きじゃないので、反撃。目標補足、迎撃します。
「だって、彼女がいる身であんまりだわ。私、二股かけるような人は信用できません。っていうか、不実な男は宮刑にでもなってしまえばいいのよ。」
「宮刑ってキミね・・・・。」
目標沈黙、反撃は成功です。
お堅い発言であろうが、世の男性の敵に回ろうが、私をコケにするやつは許さない。
ちなみに『宮刑』とは、去勢するという古代中国の刑罰の一つである。まあ、あれだ。バットとボールをとっちゃうんだ!
ああ、やだはしたない。

「彼女とは別れたよ。」

え?
いつの間にか復活していた葎屋さんが、センチメンタルな空気を漂わせながら呟いた。
それって私のせい?私のせいか。私のせいだな。
ずーーん。人を不幸にしてしまった・・・。
「厳密に言うとキミのせいじゃない。」
大まかに言うと私のせいなのか。
「彼女とは別れて良かったんだ、別に愛されても好かれてさえもなかったんだから・・・。」
センチメンタルから一気に曇天が漂う。やだなー、暗い話はちょっと勘弁・・・。
暗い話をしに来たんだけどさ、他人の恋愛相談は受け付けてないわよ。むしろ私が恋愛相談してもらいたいくらいなのに。
「俺の家はさ、知ってるかもしれないんだけど江戸時代から続く、由緒正しい老舗呉服屋なんだよね。」
うーん、確か以前にお祖父さまの口から贔屓にしてる呉服屋の話を聞いたことがあったよーな、なかったよーな。
「覚えてなければ別にいいんだけどさ、キミが見合いのときに着てた振袖もうちのだよ。」
「ああ、じゃあ七五三の時のも葎屋さんちのだわ。」
「うん、佐想さんちはうちの上得意でさ、昔から贔屓にしてもらっています。」
子供だから、お商売には関係がないんだけれど、家業であるから客に対しての礼儀は忘れず、深々とお辞儀をされた。

「で、簡単な話。経営不振に陥ったうちの店を、上得意の佐想グループが出資しようという美味い話になったわけ。まあ、うまい話には裏があるってね、俺が人身御供。」

あ・・あっけらかんと言いましたね・・・。
人身御供とは。
しかも捧げられるのは私ですかい。食ってやろうかこのやろう。
「キミとの婚約を条件に、うちの店は救われるはずだった。全てはキミ次第だったんだ。」


きつく見据える黒い瞳が私を射抜いた。







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