28.子供の情景
後日、葎屋桑一郎さんとの縁談は反故になったと父から聞かされた。
ああ、やっぱりな。
その事実はすとんと受け入れられたけれど、胸の内はまだモヤモヤと晴れなかった。
小父さんの言った言葉が本当だとすると、・・・この場合、仮説と定義づけなくても向こうに嘘や冗談をいうメリットなど何もないので本当だと思う。
融資。
父は葎屋さんの会社に融資する代わりに桑一郎さんと私の婚約を言い出したんだ。
足元を見た商談。そう、彼は売られたのね。
彼は、桑一郎さんはどんな気持ちで頷いたんだろう・・・。
彼女がいる身で。
あんなにも彼女と二人で笑い合ってたのに・・・。
彼に苦渋の決断をさせてしまった自分がどうしようもなく腹立たしい。
たとえ知らなかったこととは言え、私はなんて罪深い。
胸が張り裂けそうだった。
私に嫌いだと言われて、どんな気持ちだっただろう・・・。
タクシーの窓に流れていく彼の顔を思い出して涙が出そうになった。
破談になった今、彼の家はどうなるのだろう。
私に何が出来るのだろう・・・。
数日後、尊さんが挨拶にやってきた。
私の胸中はまだモヤモヤと燻っていた。どんな顔をしてあの人に会えばいいんだろう。
憂鬱だ、会いたくない。
真っ暗にした部屋の窓からカーテンに隙間を作って覗いていた。
彼はピンストライプの入ったチャコールグレーのスーツを着て、髪の毛もきっちりとセットされてて改めて大人の人だと認識した。スーツを着慣れてるんだなあ・・・。
こんな大人の人が、まだ子どもでしかない私に婚約を申し込んでくる。全く現実味がなくて、実感がない。
それでも分かることがある。
今度はきっと断れない。
僅かな好意で、衝動的ではあっても、私からプロポーズめいたことを口に出してしまったわけだし、彼の方でも否やはなかった。
それに社会的な立場もある。
相手は大手商社の次期社長だから、佐想グループといえども一度婚約を結べばそうそう破談には出来ない。
父も祖父も子煩悩ではあるけれど、打算的だからこの話は絶対にまとめたいはずだ。
結局わたしはどう転んでも、近く生涯の伴侶を決められるのだ。
はあ。
知らず溜息がこぼれる。
それほど強く吐き出した吐息ではなかったけれど、握り締めたカーテンが僅かに揺れる。
・・・・・・・本当にこれで良かったのかしら。
「どうしたの、浮かない顔して。」
ビクリ
突然背に掛かった声に身体を震わせ、振り返れば奴がいる。もとい、彼がいた。
フォーマルなスーツに身を固め、部屋の扉に身を預けて。
「ノックをしても返事がない。」
嫌味のように目の前で扉を叩いて見せた。けれど嫌味ではないのは彼の微笑で見て取れる。
「部屋は薄暗いし。」
そう言って扉の近くの壁を探って、スイッチをひねると部屋に明かりがついた。
彼の姿が明瞭に浮かび上がる。
「さあ、キミが何に対してそんな顔をするのか当てようか。」
ふふふと余裕の笑みさえ浮かべる彼は、本当に私の考えなんてお見通しなんだろう。
そして、私のとるべき道も・・・。
大人って嫌いよ。
いつでも自分が優位だと思ってて。
そんな劣等感を抱いたつもりの私が一番の子どもなんだろう・・・。
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