21.逃亡


父は「会えば分かる」と言った。
知っていたんだろう、私が葎屋桑一郎さんに密かに思いを寄せていたことに。
父に知れてる時点で、もう『密かに』なんて言わないけれど。
私がこの見合い相手に会った瞬間、びっくりはすれども喜ぶとしか考えなかっただろう。喜んでこの話を受けて、父に感謝するに違いない。父の考えることなんてそんなものだろう。
だから私が逃げ出すなんて、考えもしなかった。

踵を返したのは衝動。

慌てふためく父の声が背中を打った。
でも今、捕まえられるわけにはいかない。
理由を考える前に「嫌だ」と思ってしまったが最後、体が勝手に動いたのだ。
意表をついたのが功を奏したのか、追っ手はすぐにやってこなかった。
それでもなかなか表玄関に辿りつけず、ホテルの中で迷ってしまった。
刻一刻と追っ手は私に追いついているはずだ。緊張で手先が冷たくなった。
人目をかいくぐって、表玄関ではなかったけれど、やっとの思いで目的のタクシーが停まる出入り口に辿りついた。

辺りに追っ手がいないか確認しつつ、こっそり出口に向かった。
しめしめ、まだここの出口はノーマークだったようね。
キッと重いガラスの扉を開いた時だった。

「ひふみさん!」

ぎっくーーーーーーーん!

扉に体を滑り込ませながら振り返り、視線を走らせると、追ってきたのは葎屋桑一郎さんだった。
私は慌ててタクシーに走り寄る。
おっちゃん!早よ開けて!!
「どうして逃げるんだ!」
どうして?


扉が開いて、私は車内に入ろうと体をかがめて・・・。
やめる。
扉をくぐった葎屋桑一郎さんに振り返った。
心を込めて睨みつけてやる。
逃亡の理由は簡単だった。


「あなたが大嫌いだからよ!!」


吐き捨てるように大声で叫んで、サッと車内に入るとロックまでかけた。
とりあえず出してくださいと運転手さんに注文して、葎屋桑一郎さんが駆け寄ってくるのを冷ややかに見詰める。
困惑する彼の表情が後方へ流れて、私の溜飲は少し下がった。

どうしてですって?
ふざけんな!
カノジョ持ちがどの面下げて見合いや。

カノジョにも、私にも、失礼ちゃうんか。


不実な男はこの世から滅亡してしまえば良い。







>>NEXT
>>BACK
>>TOP