14.彼の絶望
「あの、今更聞くのも何なのですが・・・聞くタイミングが掴めなかったと言うか・・・。」
この際、ついでに聞いてしまおう。私は意を決して彼の眼を見た。
「何?」
「・・・・・・私、どうしてここにいるんでしょう?」
彼の顔から笑みの空気が引いた。
スプーンを取る手の動きも止まって、目を見開いて驚いている。
グラスの水を呷って空にすると、テーブルに置く音がコンッっと響いた。
「え・・・・・、覚えてない・・・の?」
心なしか少し顔色が良くない。
けれど私は是と頷く。
「昨日の夜の記憶がすっぽりありません。」
言葉が出ない。彼の状況を代弁するならばそんな感じ。
「・・・・・・・・・・・・・・まいったなあ・・・・・・。」
長い沈黙の後、彼は顔を手で覆って俯いた。掌から漏れる溜息がわざとらしく音を立てた。
彼の返答によっては私のほうが参るんだけど。昨日の夜に何があったのよ。
彼は顔を上げると、すごく傷ついたと言う風に、口を覆って私を覗いた。
傷つくのは私のほうです。
私が何したって言うのよ。ムカチン。
「ごめん・・・・・・。」
沈黙の中、不意に彼が呟いた。何が?
「覚えてないのに、いきなりキスしたこと。頬にだけど。」
ああ。
「いえ、別に。」
そういう良識はあるんだ。
「気にされてないのも立つ瀬がない。」
どうしろと。
「うそうそ、思いっきり動揺してたの分かってるから。」
彼は冗談めかして小さく笑ったけれど、朝から見せてくれていた優しい笑顔ではなかった。
私の心が少し痛む。良心の呵責?違うなあ。
なんだろ。
「ごめん、ちょっと込み入った話みたいだから、私帰っていい?」
すっかり存在を忘れかけていたマルベニ女史。隣にいたのに、ごめんなさい。
隣のお皿はもうすでに空っぽ。綺麗に食べましたね、紅子さん。さすが食欲女王。でも野良猫。
え、紅子さん帰っちゃうんですか。え、え、どうしよう。
紅子さんと彼を交互に見ていたら、彼が寂しそうに顔を緩めた。
またチクリ、心が痛む。
「ふみが、僕と二人だと不安だろうからいてあげてくれないかな。佐想の迎えが来るまで。」
さっきのは自嘲も混じってたの。知らない人と二人は不安だって、私の顔に出てたのね。
「迎えが来るんですか。」
「これから連絡とるところ。」
ちょっと、そういうことは早くして下さい。彼は席を立ってダイニングを出て行った。
「あ、マルベニ。僕の名刺あげといて。」
廊下の方から声が響いた。
秘書さんだから、お名刺預かってるのね。
「なんか、私ものすごい部外者なんだけどなあ。」
鞄の中を弄りながら、紅子さんは呟いた。お目当ての小さい箱を取り出して中身を一枚取り出す。
「ごめんなさい、私のわがままで。」
休日なんだろうからさっさと帰りたいだろうに・・・。でもやっぱりあれだけ好意を向けられてる男性と二人きりなのは不安なわけで・・・。
「いえ、別に早く帰りたいとかじゃなくて、ひふみちゃんのプライバシーに関ることなんじゃないのかなーと思って。そんなの部外者な私が聞いてていいわけ?」
どんな醜態だったのか、聞くのが恐ろしいけど、そんな痴態を他人に聞かれるのは顔から火を噴くほど恥ずかしいけど。けれど、
「女性として、傍にいてください紅子さん。」
あの人を危険視してるわけじゃないけれど、信用してないわけじゃないんだけれど、やっぱり年頃の女性として良家の子女としてそこのところは線引きしとかないといけないんじゃないかな。
って、今更な気もするけど。
「はい、これ。」
美人秘書サンのくれた小さな長方形の厚紙。
「株式会社つるみや商事常務取締役、水流 尊・・・・・・・。」
常務・・・・・・似合わない・・・・。
たかし・・・。
「たかし・・・・・・・?」
どこかで聞いた名前だ。
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