11.ご帰宅


紅子さんに促されるままキッチンに足を踏み入れた。
そこは思ってたよりずっと綺麗に片付けられていて、私の中の世間一般的男性像が少し変わった。
男の人ってもっと汚い生活をしてるんだと思ってた。
あの人はそうじゃないんだ。

浮き立つ心でそっとシンクを撫ぜた。

素足にスリッパを履いて、冷蔵庫を探る。
ニンジンが一本、卵が五つ、タマネギが足元に三個。
一人暮らしの冷蔵庫ってあんまり物が入ってないんだなあ。
ご飯は炊いてあるみたいだから、オムライスくらいしか思いつかない。
「紅子さんはタマネギ食べられますか?」
キッチンから覗き込んで、女史に尋ねる。
「私、なんでも食べられるわよ。」
偏食女王かと思いきや、本当になんでも食べられるらしい。
ナマコやらイナゴやらハチの子やら、なんでも美味しく食せますと豪語する。
地にあるものはイス以外、空を飛ぶものは飛行機以外何でも食べると笑いながら言う。
中国人か。

「あ、そうそう。よかったらこれ使って、制服汚れちゃうわよ。」
まな板と包丁を探していたら、紅子さんがエプロンを持ってきた。
「大きい・・・・。」
褪せたセルリアンブルーの簡素なエプロン。
ここにあるエプロンで、この大きさ。紅子さんのもののわけがない。
と言うことは・・・。
「あのボンクラのだけど、ないよりマシでしょ?」
「!!・・・いっ・・・イリマセン!!」
「真っ赤〜。思春期は可愛いわ〜。」
にやりと人の悪い笑みを浮かべた。
確信犯。
思春期の女の子をからかうなんて、オバサンの所業です。
怖くて口には出せないけれど。

青色のエプロンは、突き返しても紅子さんが受け取ってくれないので私の手の中に納まったまま。
放り投げることもできず、私は彼の私物を握り締めたまま。

「ただいま〜。」
不意に玄関先から間延びした声が聞こえた。

「?」
私と紅子さんは互いに顔を見合わせて首を傾げた。
ただいまと帰ってくる部屋の主はただ一人。
けれど彼は仕事に行ったのではなかったか。

玄関先から廊下を歩く音がする。
彼が近づいてくる。
ドキンドキン。
ゆっくりとリビングの扉が開いて、ダークグレーのスーツが入ってきた。







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