第八話


ゼーゼーと荒い息を吐いて、やっと落ち着いたんは、見家も尚ちゃんもあのにーさんもゴマ粒ほどにも見えん講堂の中。誰もいてない教室の壁に背を預けて、ウチは自分の胸元を鷲掴んだ。
なんで、なんで、なんで・・・。
全力疾走したから心臓が鳴ってるんとちゃう。
にーさんの顔が、声が、フラッシュバックして、ウチの心臓を鳴らせてる。
「もー、アカン・・・・・・・。」
忘れてたと思てたのに、反則や。
壁に預けてた身体はズルズルと落ちていき、ウチは廊下にうずくまった。

「なにが、アカンねん。」
突然、頭上から聞こえた声に身がすくんだ。ハーハーと間断なくつがれる荒い息。
顔を・・・上げられへん。
追いかけてきてた・・・なんて。


「なあ。」
ウチが微動だにせず、沈黙を守り続けてることに業を煮やしたんか、苛立たしげな声音が空気を打つ。
「なんでオレを見いひんねん。あんた沢柳大和さんやろう?オレ、あんたを探してたんやで。」
グッと右腕を掴まれて、立たされた。力強い手は男の人のもんで、力が強すぎて掴まれた腕はじんじんと痛む。
反動で振り仰いだ先には、やっぱり予想した人の顔やった。
「・・・腕・・・放してもらえませんか。痛いんですけど。」
にーさんと目をあわしてられへんくって、視線で腕を示した。そやのににーさんは腕を放す気全くナシ。
ふてぶてしく「いやや。」なんぞ言いよった。
「手ぇ放したら、逃げる気やろ?そんなん困る。オレあんたに用があるんやから。」
「用?」
何の?
首をかしげたところで、にーさんはウチの腕を開放した。腕の拘束がなくなって、ホッとしたんも束の間、うちの両脇の下ににーさんは腕をまわして、壁に手を付いた。
腕の拘束よりも密着してるし拘束が堅い。
間近に迫ったにーさんに、本能が身の危険を察知した。
「なにす・・・っっ」
る気やねん。

語尾は発せられることはなく。
塞がれた唇に、吸い込まれて消えた。



荒っぽく口付けられて、力の抜けたウチに、鼻と鼻が擦れるくらいの距離でにーさんは囁いた。
さっきのからかうような、冗談口調とは全然違う、低くて甘い囁きやった。
「一目ぼれやねん。オレと付き合って。」
背骨を溶かすような、甘い甘い囁き。
近すぎて、ピントも合わんにーさんの顔。喋る度毎に、唇が触れそうで、触れたくて、心臓が高鳴る。
ウチかて・・・一目ぼれやん・・・。
せやけど。
「アカン・・・。」
アカンねん。応えられへんねん。
ウチは震える指に力を振り絞って、背中の壁を支えに足を踏ん張った。
自分で、立たなアカンねん。
「何がアカンのや。」
拒否の言葉を捉えてるはずやのに、にーさんはそれを拒絶するかのように再び顔を寄せてきた。
ウチはすぐさま手のひらを間に差し込んで、にーさんの行為に邪魔をした。
手のひらに、にーさんの唇が触れて、それだけでも頬が熱くなる。
せやけど。
そう何度も腰砕けにさせられてたまるか!!

にーさんの見てへんところで、拳を握る。よっしゃ、力は回復してるな!!足もちゃんと立てるな!!
確認してからウチはにーさんを思いっきり睨みつけた。
あんな、ウチはアンタのこと好きかもしれんて思てるけど、コレとソレとは話が別もんや!

ウチは右膝を、思いっきり振り上げた。
「〜〜〜〜〜〜っっっ!!!」


低いうめき声と共に、拘束は解けてウチは脇に逃げる。
どうやら股間にクリーンヒットしたようで。
悶絶しながら蹲ったにーさんは、それでもウチを逃がさんように、脂汗を流しながらもウチの服の裾を掴んでた。
その根性天晴れやな。
しかしウチは暴漢に優しないで。
「離せ、この変態。キス魔。痴漢。」
容赦なくにーさんの腕を振り解いて、教室を後にした。


これに懲りたらウチの前には二度と姿現さんやろう。
これでエエねん。
あのにーさんには、あのにーさんに相応しい、女の人がいてるはずや。
ウチがにーさんの好意に思い上がって応えても、所詮は泡沫(うたかた)の夢に過ぎんのや。
自分と同じ言葉を喋る女がただ珍しいだけで、暫くしたら目が覚めて、飽きられて捨てられるんや。
そんなんみじめやし。
せやったら、初めっからなんも持たん方がエエ。
期待も希望も恋心さえも。

ウチの「好き」は、ただの勘違いや!!




+++ +++ +++ +++