Edelstein




STEP 4




「あら珍しい、今日はスカートなんてはいてるのね」
なんてお花の先生に言われて私はビクリと飛び上がった。
「へっ、変じゃないですか?」
極度の自信のなさから、私はモジモジと頬を染めた。

あの後まんまと授業をサボって、みっこちゃんの家に行った私は、みっこちゃんプロデュースのもと女の子らしい服を借りることになった。
生まれて初めてのスカートはなんだかお尻が心許ない。絶えず足元を気にしちゃってキモチワルイとみっこちゃんに泣きついた所、レギンスを借りて落ち着いた。
思わぬ弊害に、大人になってもスカートははけないかもしれないと妙に自信がなくなった。
ちなみに学校の制服は、下にしっかり短パンをはいているのだが、みっこちゃん曰く『色気もへったくれもありゃしない』だとか。いいの、しょーがくせえに色気も何もあったもんじゃないから。
ちょんちょんに短い髪の毛は、一番長い前髪を梳いて延ばして流して、どうにか女の子に見えるようにしてもらった。
家に帰ったら学校をサボったことがバレて散々怒られたけど、みっこちゃんのお家から電話があって、母は目が飛び出るほど驚いていた。
服を借りたのだって何を言われるか分からないから、こっそり着替えてお稽古に来たのだ。

いざ勝負!

と言っても、新納さんが来るまでまだまだ時間はあって、それまでに今日のお稽古の課題を済ませておきたいのだけれど、落ち着かない手はなかなか進まなくって無駄に時間は過ぎていく。
耳はいつでも新納さんの声を聞けるように、玄関の方に集中しているし、視線はさっきから庭先の方に向いてしまう。
全くお稽古のことは考えていないのが丸分かりで、先生に早くも庭に追い出された。
今庭に出されたらこの後の予定が狂うのよ。新納さんが来る予定の時間までまだ一時間あって、そんな長くは庭にはいてられないのよ。
でももう追い出されてしまったので、とりあえずはいつも通りに庭を散策する。
今日はどうせだからいつもよりもっと奥の方まで行ってみようか。アヒルさんたちの暮らす池があるなら探してみようか。
いつもと違う格好で、いつもと違うことを思いつく。今日の私はいつもの私じゃないから、きっと何でも上手く行く気がする。
途中、アヒルの群れを捕まえて、左右に揺れるプリプリのお尻を眺めながら後ろについていった。
低木を何度かかき分けて、庭の石ころを蹴り飛ばし、木の根っこで出来た階段を登ったり降りたり。アヒルのお宿はなかなか遠い。帰りは大きなつづらと小さなつづらのお土産を選ばせてくれるのかな。
そんなメルヘンでも起これば楽しいのに。
先生のお家のお庭は広大で、でもって手入れなんて満足にされてないからにわかジャングル。
そんな場所で暮らすアヒルさんは気性の荒いワイルドダック。
最後の低木を乗り越えて、開けた視界の先には大きくはないお池。緑の水に、鯉になりそうな大きい金魚が十匹くらい泳いでいて、アヒル軍団は各々お池にダイブした。
グワグワの鳴き声と、くちばしを叩く硬い音と、水を浴びる光と音。キラキラキラ、綺麗。
水面に見え隠れする白いお尻は黄色いくちばしとマッチして、アヒルって生き物はやっぱり可愛いな。
うっとりと見とれていた。


「こんにちは、タチバナ生花店です!」
いつもの、胸を騒がせる声で現実に戻ってきた。
目の前のお池には、もうすでにアヒル軍団の影はなく、一体いつほど前に池を離れたのかも分からない。
お稽古場にいる時よりも、新納さんの声が近くで聞こえた。
ということは、ここはお稽古場よりも玄関に近いらしい。
声のしたほうを頼りに私は歩き出した。するとまた近くで先生の玄関に出てくる声も聞こえ始めた。
「今日はいつもより早くない?」
「俺、今日でバイト辞める事になったんで、配達先にご挨拶するのにちょっと早く出たんですよ」
「あらー、それは残念ねえ」
先生の社交辞令的な口ぶりとは裏腹に、私は新納さんの言葉に息を飲む。
そんな。
絶望に体中の体温が下がっていく気がした。
思わずぎゅっと握り締めた手のひらは、しっとりと汗ばんでいるのに氷を掴んだように冷たくて、震えてた。
泣いちゃいけないって思ってても、目頭が熱くなってじんわりと涙が溢れてくる。
先生と新納さんの声は、新納さんの抱える花の束のカサカサという音と一緒に遠ざかっていく。きっといつも通りに新納さんが庭へ回って縁側から御花を納品しているんだ。
新納さんがもうここへ来なくなってしまったら、どうなるんだろう。
会えなくなる?
今日で辞めるって言ってた。新納さんと会えるのはこれが最後ということだろうか。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
このまま会えなくなるの?
混乱している私を余所に、新納さんはあっさりと挨拶を済ませたようで、縁側の方から「今までありがとうございました」と彼の声が近づいて来ていた。
このまま彼が車に乗り込んでしまったら、私はもう二度と彼に会うことは出来ない。
車には走ったって追いつけない。
だから彼が車に乗り込むまでが、勝負。でも、私にできるんだろうか。いや大丈夫、きっと大丈夫。今日の私なら何でも出来る気がする。
私の葛藤などおかまいなしに、彼が近づいてくる。もうすぐ私の前を通る。どうしよう。
「明くん?」
一瞬自分が呼ばれているとは思いもしなかった。だって、そんな風に呼ぶ人はいないから。
気がついて、草葉に佇む私の姿が新納さんから丸見えなことに慌てふためいて、でも新納さんの笑顔に観念して彼の前に進み出た。
「新納さん、今日で辞めちゃうの?ここにはもう来ないの?」
「明くん……その格好……」
みっこちゃんのコーディネートは充分に効果があったようで、新納さんは目を丸くして口をあんぐり開けていた。
いつもの私ならガッツポーズの一つも出しているところだが、今日はそんな余裕もない。
ボロボロとこぼれる涙は、もう自分でもどうすることも出来なくて、すすり上げる鼻水に引きつる息が声を震わせる。喋る度に嗚咽が漏れるし声は詰まるし、何が言いたいのか分からない呻きがいっぱい出てくる。
ああ、みっともない。でも止められない。
「嫌だよ、せっかく名前も教えてもらったのに。わたし、新納さんのこと好きなのに、会えなくなっちゃうのは嫌だよ」
涙混じりに途切れ途切れに、それでも何とか言い切った。
もう新納さんの顔を直視できなくて、涙でべとべとの顔を伏せて死刑宣告を待つ被告人のように目を瞑って固まった。
何も聞かずに逃げた方がいいのかもしれない。だけど更に臆病な私は足がすくんで動くことさえ出来ないでいた。
「あき……あきら……さん?」
戸惑いがちに新納さんの声が頭上に降ってくる。
くん付けからさん付けになったということは、彼の中で誤解は解けたと判断していいのか。
ザリッと砂を踏みしめる音がして、私の俯く視界に影が見えた。そしてそっと頭に大きな手のひらが乗せられて、二度三度と軽く叩かれた。
「俺、今大学生でね、学生のうちに色んな仕事経験しときたいんだ。だから、前のバイトも前の前のバイトも二三ヶ月って期間決めてて、このバイトも辞めるの前から決まってたんだ。……ごめんね」
その謝罪は何に対するものなのか。私への謝罪であることは疑いようもないことだけれど。
突然辞めることへの謝罪なのか、
私の好意に対するものなのか。

どっちにしろ、私の初恋は今まさに終わりを迎えようとしている。

「その格好、よく似合ってるよ。ちゃんと、女の子に見えるよ。正直、ずっと男の子だと思ってた」
ああ、やっぱり。予想してた通りで驚くこともない。
未だに泣きやまない私の手を取って、新納さんはしゃがんだ。俯く私の視線と丁度かみ合う場所に新納さんの困ったような瞳が見えた。
もう片方の手で、涙に濡れた私の頬をぐいぐいと押し付けるように拭った。
「これからも、スカートはきなよ。きっと綺麗になるよ」


あなたがそう言うのなら、そのように。
誰よりも綺麗になってみせましょう。
だから、どこにいたって探し当ててみせるから。
綺麗になったら私を見てくれる?
子供じゃないって思ってくれる?




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