Edelstein
STEP 3
今回ばかりは友達にも言えやしない。
まさか誤解をとくどころか、新たな誤解を生んでしまったとは、私の報告を待つ彼女らも夢にも思わないだろう。
私も夢ならどれだけ良いだろうと思ったことか。
しかし誤解は解くのが難しい所まできている。
新納さんを捕まえて、男じゃないんです、名前も違うんです。と言えば済むこと。
言葉で説明すれば簡単だが、行動に移すために私が必要とする勇気は言葉では言い尽くせない程。
はあ、と溜息を吐きながら私は校舎の裏、人気のない芝生に座り込んだ。
朝礼まではまだ時間がある。
私は友達に事の次第を報告するのが嫌で、無意味な時間つぶしを図ってみるのだった。
ここで時間を潰して、朝礼ギリギリに教室へ滑り込む予定なのだ。
膝を抱えて瞼を伏せて、自分だけの暗闇を作り出す。そこに思い浮かべるのはあの人の笑顔。
途端に胸がドキンと鳴って、苦しいけれど心地が良い。
口の端が頑張って引き締めても緩んできて、ふにゃっと笑ってしまう。
これがきっと恋の魔法。
不思議な不思議な恋の魔法。
憂鬱だった友達への報告も、全部忘れて幸せな気持ちにさせてくれる。
これってきっと麻薬と似てる。社会は麻薬みたいに禁止したりしないのかな。
「明さん、明さん」
頭にふわりと手が触れて、名前を呼ぶ声に私の名字だってなかなか気付けなかった。
瞼の裏でぱちんと弾けた笑顔を振り切って、仰いだ先に居た人は馴染みのない人だった。
「さ、そう、さん??」
逆光で輪郭にコロナが見える。揺れる輪郭にグレアも揺れる。私は自然と眼を眇めて、目の前に立つ人を見た。
かろうじて判別できた人物像は、私の学年で一番の有名人。
手で、目に入る光を遮ると落ち着いて見え出した彼女の表情。
長い髪を揺らせて小首を傾げて微笑んだのが影の中で見てとれた。
佐想みつこさんは私と同じクラスで、児童会の会長。
学校始まって以来の秀才らしくって、しかもお家は日本だけでなく世界に名だたる大企業佐想グループ。
運動も得意みたいだし、長くて綺麗な髪の毛がよく似合う美人さん。
私なんか比べるのもおこがましい、本物の超・お嬢様なのだ。
今年のクラス替えで初めて一緒のクラスになったのけれど、今まで喋ったことは殆どない。
接点がなかった、というのも理由の一つ。
彼女は大会社のお嬢様だから、私ごときが声をかけてはいけない。と思っていた卑屈な理由も一つ。
佐想さんの非社交的な雰囲気も、声を掛けづらい理由に一つ。
でも、佐想さんから声を掛けてくれるとは夢にも思っていなかった。
佐想さんは私の横にすとんと座り込むと、「茂みから見えてた」と前の植木の狭間を示した。
ところで私に何の用があるというのだろう。
沈黙に気持ちを滲ませて、隣の佐想さんに視線を送った。佐想さんはそれに気付いて言葉を選び始めた。
「なんか、明さんしんどそう……憂鬱?暗くなったり嬉しそうにしてたり、ちょっと面白そうだったから……」
だから、声をかけたと言うのだろうか?
面白そう……興味を惹かれたことには違いないが、面白そうとはまた不思議な理由だ。佐想さんって意外と変ってるかもしれない。失礼だけれど。
さっきの私の感情の起伏が見られていたことに、恥ずかしくて赤面した。
……そうだ、佐想さんになら。
とっても頭の良い佐想さんになら、良い打開策を教えてもらえるかもしれない。
口が軽そうにも見えないし……。
私はおずおずと佐想さんに向き直って彼女の名前を小さく呼んだ。
改まって相談事を持ちかけるにはどのように切り出せばいいんだろう。恥ずかしいし上手く伝えられるか分からない。
それに彼女に話して良策出てくるとも限らないし……。
だけれど佐想さんは私の呼びかけにちゃんと反応を示してくれて、私の次の言葉を待っている。
「佐想さんは、す……好きな……好きな人って、いる?」
私達の年齢で、好きな人がいてない方が少ないかもしれない。でもこの学校は女の子しかいてないから、そういうのも普通かも。現に私だって今まで恋なんてしたことなかったもの。
佐想さんってストイックな感じだし、そういうの割と鈍感に見える。って、私が言えた義理じゃないんだけど。
「うん、いるよ」
えっ。アッサリ返ってきた返事に私は驚きを隠せない。
「姉の婚約者になりかけた人でね、うちに出入りしてる呉服屋さんの次男さん。お家が困ってる所を私が助けてあげたんだけどね、いまだにうちの祖父が金出したと思ってて私の事ただの子供だと思ってるのよね。自分の常識でしか物事を測れない頭の固いやつはC級サラリーマンで終わっちゃうのよ」
一言質問しただけなのに、なんてオープンな人なのかしら。
普通そこまで突っ込んだこと自ら言う?
言いだしっぺの私の方がたじたじだわ。
というか、その物言いで本当にその人の事好きなのか甚だ疑問ですが。
「その人から見たら、私はどう頑張っても子供なんだって。小学生は勉強なんか程々に、毎日友達と楽しく笑って遊んだ方がいいよって言うの。佐想の跡継ぎ狙ってる私にね。」
佐想さんの伏せられた視線に私の胸がじんと沁みた。
あんなこと言ってたけど、その人の事本当に好きだって分かった。そして私と同じ思いを抱いてることも。
途端に今まで近寄りがたいと思っていた佐想さんが愛しく感じられて、私は彼女をぎゅっと抱きしめた。
涙がポロポロこぼれて、佐想さんの言葉に感化されて感情が昂ったんだ。
「明さん?」
私の奇行にさすがの佐想さんもビックリしたのか、戸惑う声で私の名前を呼んだ。
「わかる、わかるよ〜。つらいよね、一足飛びには大人になれないもんね」
頑張って背伸びをしてみても、今の私は私でしかなくて、新納さんにつりあうような大人には程遠い。
女の子らしい美人の佐想さんでさえ、そんな扱いを受けるんだから、きっと私が女の子だってわかったところで大人の男の人からすれば、『子供』という一括りで片付けられてしまうんだろう。
わんわん泣き出す私を、とうとう佐想さんはなだめにかかって、頭を撫でられるまでになった。
「まあまあ、世の中そんなに悪いことばっかりじゃないし。いつか良いことがあると思うからもう泣き止んでよ。」
他人を慰めたことがないのかというぶっきらぼうな言葉に、佐想さんの雰囲気があまりにも似つかわしすぎて、私は泣きながら笑うという気持ち悪い状況に陥ってしまった。
引きつる気管をようやくなだめて、落ち着いたのはそれから暫くたってから。
もう朝礼は始まっている。きっと一時間目も始まっている。
「佐想さん、ごめ……もう授業始まってるのにつき合わせちゃって……」
私は目尻に溜まる涙をぬぐって隣の佐想さんを見やったが、申し訳なさから視線を合わせられなかった。優等生の佐想さんは、無遅刻無欠席のまさに生徒の鏡だからだ。
「別に、小学校の授業なんて出るだけ無駄だから」
秀才の佐想さんは、もうずっと前に小学校の教科を全て履修済みなのだとか。
「ああ、……そう」
所詮凡人の私にはよく分からない領域。
涙でぬらした目は、なんだか重くてシバシバする。
佐想さんが目がむくんでる、というから治まるまでは教室に行けない。
涙は引っ込んだけれど、私と佐想さんは同じ場所に留まっていた。
「ねえ、佐想さん」
「なに、明さん」
私達は視線を漂わせたままぼんやりと会話していた。
木漏れ日が程よく身体に当たり、うつらうつらするのはきっと私だけではないはず。
「みつこちゃんって、呼んでいいかな?」
眠気を含む笑顔で質問したら、珍しい彼女の笑顔で返ってきた。
「みつこって言いにくいでしょう、『みっこ』ってみんな呼ぶから」
あなたもそう呼んで。
「じゃあ私も、『ミシ』って呼んで。」
改めて、友達になりましょう。言葉には出さないけれど、名前の交換はそういう意味。
「……きっとね、」
二人で微笑みあった後に、みっこちゃんが呟く。
「いままで学校に行ったって、何の実りもないって思ってたん。けど、あの末っ子次男が行っとけって言うから、渋々来てたんよ」
喋り方が変ってきょとんとする私にみっこちゃんは「家族が大阪人やから」と付け加えた。
「別に面白くも何ともあらへん、義務教育やさかいにと我慢してたんやけど、学校って授業だけと違うんやもんな。同年代の子がこんなたくさん集まる所、他にはないもんな。友達は作っとけって言いたかったんやろな」
偉そうなこと言うて、自分も未成年やのにな。ポツリポツリ呟くみっこちゃんの隣で私は大人しく聞いている。
頬を染めるみっこちゃんの眼差しは柔らかくて、今まで見た「佐想みつこ」のどれよりも綺麗に映えていた。
これが恋。
私も、こんな風になれるのだろうか。
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