Edelstein




STEP 2




「だ・れ・が、男の子だっていうのよ!!!」
猛獣の咆哮のごとく叫びを上げて、怒りの鉄槌を目の前の机にめり込ませた。
立ち上がった拍子に鉄と木で出来た椅子が耳障りな音を立ててひっくり返る。
「で、それを本人に言ったの?」

「……言ってない」

今までの勢いはどこへやら、冷静な声に突っ込まれては、私も大人しく椅子を起こして座り込むしかない。
目の前で「はあっ」と呆れた色を含む溜息を吐かれても、言い返すことなどできない。
彼に性別を間違われた私はその後、あまりの出来事に憤慨するタイミングを逃してしまい、曖昧な愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
そして彼は私の性別を誤解したまま、帰っていったのだった。



ここは学校。
そして今は昼休み。
私は仲の良い友達と給食を食べながら、先日の顛末を昂る感情そのままに語った。
それというのも、彼の誤解を解くべく何か良い案はないかと相談したいが為なのだが……。
「うんまあ、確かにミシは男子にしか(・・・・・)見えないけどさ。」
「そのへんの男子よりも頼りがいあるもんね」
照れていいのか怒っていいのかそれとも嘆けばいいのか、友人に言われれば悩む所であるが、今まで容姿に頓着した事のない私には短所であれ長所であれ客観的見解が聞けるのはありがたい。
「まあ、スカートでも穿いてりゃ女の子って分かるんじゃないの?」
三人寄れば文殊の知恵とかいう諺とは全く無縁の発案が、おざなりな言いようで飛び出してきたが、それはそれで一理あるので耳を傾けてみる。
まさか男子がスカート穿くとか普通の人は思わないでしょう。という友人の見解は、なるほど常識で考えればそうだと思う。
「うん、さっそく今度ためしてみる……!」
どこかで一筋の光が差し込んだように見えた。



が、人生そう、うまくいくはずもなく。
洋服ダンスからクロゼットから、引っ掻き回して引っ張り出して、私の部屋は服の海。
散らばった服の数々は自分でも多いとは思うけれど、驚くことにスカートが一枚もない。
自社でもスポーツウェアの生産をしている父の会社の影響でか、昔から企画商品を試着させられることが多く、そのままたんすの肥やしになったり普段着になったものが大多数を占める。
着る物に困らないせいで、洋服なんて買ってもらったことは数える程度しかない。
そしてスカートなんてパンツ丸見えになりそうなアイテム、私が欲しがることは皆無だった。
決して貧しいわけでもなく、有名お嬢様学校に一人娘を幼稚園から通わせられるほどには潤った財産を所有しているはずなのに、両親は無駄な金を使いたがらない。
娘を着飾らせる洋服も、両親には無駄な金のようだ。
案の定、スカートを買って欲しいという私の懇願を、上記のような理由で一蹴されてしまっては、不貞腐れるのも悔しい。
それでも私は諦めきれずに再度母へ交渉したのだが、やっぱり資金援助は望めなかった。
「どうしてよ。スカートの一枚くらい、いいじゃない」
「一枚『くらい』が重なれば、たくさんになるでしょう。ミシにはもう少し大人になってから、スカートでもなんでも好きな服買ってあげるから、それまで我慢しなさい」
「なんでなんでなんで?私をたくさんのお稽古に通わせるお金は無駄じゃないの?私、お花だってピアノだって、好きで行ってるんじゃないよ?」
「お稽古事は、ミシが大きくなったらやってて良かったなって絶対思うから行っておきなさい。でもスカートはだめ。今は必要ない」
必要ない。の一点張りで、母親はこれ以上交渉に応じることはなかった。
大人って理不尽だ。私は唇を尖らせて、ベッドに倒れこんだ。
上から布団を被って声を押し殺して泣いた。
スカート一枚でさえ思うように行かない。
もどかしさを発散しきれず、具現化した涙が枯れ果てる頃には力尽きて眠ってしまっていた。



次の日は晴れていたのでもう気分がスッキリした。
もともと深く悩まない性質であるので、スカートが買ってもらえないからといっていつまでもウジウジなどしていない。
なければないで、どうにかするしかない。
持っている洋服の中で、女の子らしく見せるしかない。
自分なりにあれやこれやと重ねて、納得いく形にして、次のお稽古を待った。

「今日の美潮ちゃんはピンクなんて着て、いつもより女の子らしいのね」
お花の先生がおもむろにこぼした言葉に、ポッと赤くなる。
自分のコーディネートが果たして思惑通りに見えるのか分からないので、誰かに後押ししてもらえると自信が出てくる。
改めて女の子だと認識されたようで、なんだか気恥ずかしい。
今日も結局はズボンだけれど、色味で女の子らしさをアピールしてみることにした。
薄いピンクのシャツに、黄色のボーダーのインナー。
これだけ女の子色してたら彼も分かってくれるはず。

そして今日はいつもと違う理由で教室の庭に降り立つ。
教室兼、先生の自宅であるこの家の庭は、先生が植えている草花も雑草も見分けがつかないほど伸び放題で、小さなジャングルのようだ。
どこかに小屋と池があって、アヒルがたくさん放し飼いにされてある。
時折グワグワと群れを成して行進する様が、途轍もなく可愛らしくて思わず指を伸ばしては、油断した隙を狙って指をつつかれた。
その愛らしい容姿に似合わず、アヒルは意外と気性が荒い。
でも触れずにはおれないその罪深き色合いとフォルムはいつまで眺めていても飽きることがない。
「こんにちは、タチバナ生花店です!」
いつものように声がして、ビックリ立ち上がった拍子にアヒルも驚いて飛び退って行った。
まるで驚かせたのを非難するように、グアグアと声高に鳴いている。
少しの罪悪感はあったけれど、私の意識はすぐに教室の縁側に向けられる。あそこにもうすぐ彼が花を抱えてやってくるのだ。私は無意識にそわそわと着ているシャツの裾を弄った。

そして物陰から彼が納品して帰り行く様子に見とれていた。
グワッ
一声鳴いたアヒルの声に我に返って、遠ざかろうとする彼の背中を慌てて追いかけた。
しまった。今日は見ているだけで幸せになれてしまう恋に恋する女の子ではいけないのだ。
勇気を振り絞って彼に声をかけなければ。
女の子であることすら誤解されているようでは悲しすぎる。
私は『タチバナ生花店』と書かれた白の軽ワゴン車に、今にも乗り込もうとする彼を視界に捉えた。
「まっ・・・待って!!!」
私の大音声に、身をかがめた彼の肩が少し震えて、吃驚させたのだと思った。
私を振り返るなり、大きな目を緩めて優しく笑ってくれた。その表情に平常でいられるわけもなく、私の胸は許容量を越えるかと思われるほど大きく波打った。
「やあ、キミか。この間は軍手ひろってくれてありがとう。店の備品だから失くしたら怒られるところだったよ」
白い歯をさらして見せる笑顔が眩しくて、私の呼吸も乱れてきた。
彼の発言が終わって私が用件を言うはずなのに、いつまでもだんまりなので、彼は目を瞬かせて首をかしげた。
ああ、早く言わなければ。不審に思われるのは甚だ心外。
「あ……あのっ」
声が震えるのは当然だと思う。だってこんなに心臓が鳴って、手も震えてるのだから。
緊張はピークに達し、頬が熱くて更には涙も出そうで。それでも声を振り絞って言葉を出した。
「名前、なんていうんですか!?」
いきなり『男子じゃないです』なんて言えなくて、それでもいきなりにしては頓珍漢なことを言ってしまったとは、パニックを起こしている脳ミソには気付けない。
喉の奥が痙攣を起こして、ヒクッ、ヒッ、と小さく引きつる。
そんな私の様子を全く気付いていない彼は、一瞬の躊躇もなく快く答えてくれた。
新納清正(にいろきよまさ)って言うんだ。キミの名前は?」
「あ……明、美潮……」
若干声が裏返った気もするが、そんなことは眩しい彼の笑顔の前では些かの問題にもならない。
ドキドキ鳴る心臓も、緊張で震える身体も、今は何も気にならない。
ぼおっと彼の笑顔に見惚れるばかりだ。
彼の更なる勘違いに気付くまでは。

「西尾、明くん?名前と名字を逆に言うのは、お父さんかお母さんが外国の人なの?」

…………?

一瞬何のことだか訳が分からず、ぱちくりと目を瞬いた。
私の両親は何代遡ってみても、生粋の大和民族のはず。
西尾?『ミシオ』を『ニシオ』と聞き違えた?
明なんて名字、鈴木や佐藤に比べれば少数派であるかもしれないが、名前と間違える?
しかし、私の口からこぼれ出た言葉は、こんな思考とは正反対のことで。
「あ……、小さい頃から英会話習ってるから。学校でも英語の授業あるし……」
嘘!習ってるのも授業があるのも本当だけど、咄嗟に出てくるほど身についてない!所詮は私も生粋の大和民族なのよ。ジャパニーズイングリッシュなのよ。なにがなんだかなのよ。
「へえ!今どきの小学生は、もう英語習ってるんだ。凄いね〜。じゃあ、明くんまたね!」
私の頭をグシャリと撫でて、彼は車に乗り込んで行ってしまった。


私は彼の記憶に、西尾明・華道を習う小学男子と刻まれてしまったよう。

誤解を解くどころか、新たに誤解を生んで、そして悩みに悩んだ私服は歯牙にもかけてもらえず。
結果は惨敗、見るも明らか。

そっと、頭に手を伸ばす。
彼が撫でた感触が、頭皮に蘇る度毎に胸が熱くなる。
「ニイロ、キヨマサ……」
ポツリと彼の名を唇に乗せ、頬を染めた。
大きな誤解は代償として大きな褒章を与え給うた。

もう、いいかな。
どうでも……。




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