一筋の乱れもなく纏められた髪の色や、真意の読めない深い赤の瞳など違うところを挙げればいくつも出てくる。よく見なくても別人であることは容易に判断が付く。
しかし仮の縁談相手はサイアンの想い人によく似ていた。所々の顔のパーツや雰囲気、まとう色と言うものが似通っている。それは感覚であり確たることは何も言えないのだが。
似ていると言っても、十人中十人がエオシンよりも目の前の王女を美しいと称賛するだろう。青い血管の透けそうなほどに白い肌は、結い上げられた髪よりうなじから流れ緩やかな曲線で肩の輪郭を描く。まろみを帯びた頬はふわりと柔らかで、その中にならぶ瞳も鼻も唇も眉さえもひとつひとつが彫刻のように美しい。そしてそれらが稀なるバランスで顔の輪郭におさまっているのだ。
サイアンも噂に違わぬ王女の美しさに感心はした。吟遊詩人が夢物語のように謳う美貌に間違いはなかったし、マゼンタの紅玉と称えられることに誇張も脚色もない。王女は稀代の美姫である。
サイアンの目から見ても彼女はエオシンよりも美しい。
しかし、ただそれだけだ。
美的感覚から言って優劣をつけることができても、その優れたほうに必ずしも心を傾けるとは限らない。
ようは好みの問題であり、サイアンは花の王と呼ばれる華美な牡丹よりも、朝な夕なみなもにひっそりと浮かぶ睡蓮の清涼とした美しさが好きなのだ。
それにスカーレット王女は不自然な印象をサイアンに抱かせた。そして訝しく眉間を寄せて彼女を凝視したサイアンを、彼女はどう思ったのかにこりと笑って近づいてきた。
「エオシン、とはいかような方で?」
王女の言葉にサイアンはぎくりと肩を震わせる。そういえば聞かれていたのだったか、しかしその名まで憶えられていたのは不注意であった。
「良いのですよ、隠し立てなさらなくても。正妃が嫁ぐよりも前に側妃がいることなど後宮では当たり前のことでございます。もとより後宮で育ったわたくしには日常的な風景、驚くことではございませぬ」
喉を鳴らして王女は笑うが、サイアンの表情が晴れないことに目を開いた。
「ああ、それともわたくしがその方を害するなどと思ってらっしゃるのでしょうか」
赤い唇から漏れた不穏な言葉にサイアンの頬は強張り、王女は満足そうに笑みを深める。
「何が望みです?」
警戒に引き結んだサイアンの唇はからからに乾き、絞り出した声は上ずった。動揺しているのは明白で、この分だと切迫した表情をしているに違いなかった。
サイアンは忌々しく王女を睨んだ。もうすでに彼女への感情は憎らしさでいっぱいだった。ほぼ初対面の人間にどうしてここまで脅されるいわれがあろうか。
しかしサイアンはとっさに開いた口を閉ざし、言葉を飲み込んで奥歯を噛み締める。王女をどうにかするよりも、彼には王女の真意をはかるほうが先決だった。
そこではたと気付いた、王女の不可解な違和感を。
可憐を絵に描いたような薄桃色の、幾重にもレースを重ねた清楚な装いであるにもかかわらず、王女そのひとは妖艶な色香を持ちサイアンを脅迫するしたたかな女性なのだ。それらはあまりにもちぐはぐな組み合わせである。よもや一国の王女が己に似合う装束を見繕えぬはずなどあるまい。
意図してのことであると仮定するならば、装いからして清純を取り繕うことはできるのだろう。だがしかし、王女はサイアンの前で正反対の性質を晒している。それが本性なのだろうか、サイアンには装おうとした理由も本性を見せようと思った理由も分からない。
「望みなど、ささやかなものでしてよ」
深い思考におちいりかけた所で、王女の張りのある声が響き、サイアンは目を覚ました。我に返り王女を強く見据えると、王女も同じように強く燃えるような瞳でサイアンを見詰めており、ともすれば気圧されそうになる。
「わたくし、大事な人とずっと一緒にいたいのですわ」
サイアンは王女の脈絡のない話に眉を上げた。恋人がいるのならなぜアズーリ王太子の、サイアンの婚約者になど名乗りを上げたのだ。しかし同じ王族として自由にできない理由は痛いほど分かるだけに、胸に渦巻く憤りが自分勝手な怒りだと認めざるを得ない。
サイアンのもの言いたげな様子を見て王女は口角を上げ笑みの形をとると、扇を再び広げて口元を隠したのだった。
「そうですわね……王太子殿下、取引をいたしましょうか?」
王女はドレスの裾をひるがえし優雅に横を向いて不敵に微笑んだ。無邪気な少女のような仕草はしかし、意図的に演じているようにも受け取れる。美貌は伊達ではなく、人の心を掴むのは――とりわけ男心を掴むのは得意なのだろう、自信に満ちた微笑を崩さない。しかしてその微笑の底に隠された真意や感情は一切読み取れない。
どうも一筋縄ではいきそうもない相手だと、サイアンは王女が取引内容を話し出すのを表情を引き締めて待った。我知らず緊張が体の末端まで走り、強く握り締めたこぶしがじっとりと汗ばんで冷えていた。
「内容によりますが、伺いましょう」
「きっと快諾くださりましてよ」
すでに勝者のように笑む王女にサイアンは眉を寄せた。不審と不愉快の現れであるが、王女は気にも留めず深く笑い声を漏らす。
「明日の舞踏会に殿下の想い人を連れて差し上げます。エオシン、とおっしゃいましたわね。その方」
どうして王女が探し出せるのか、どうして王女がエオシンを連れてきてくれるのか、疑問は尽きないが、王女は口を挟むことを許さなかった。サイアンに視線を送り、『殿下の想い人』の名を再度確認するのを彼は口を閉ざして首肯した。
「わたくし、見た目よりも少し人より色んなことを存じておりますの。例えば、赤毛の姫君は白いドレスを召していらっしゃって貴方とお会いになっていた、とか」
「……確かに、物知りでいらっしゃるようだ」
サイアンの表情は一瞬にして凍り、背筋に冷や汗が流れるのを感じた。彼女がエオシンについて知っていることは名前だけのはずだった。なのに王女は彼女の容姿まで、今日の衣装まで知っているのだ。
王女の情報収集力に感心するどころか、恐怖すら感じる。王女がその気になれば、サイアンの知らぬ所でエオシンを消してしまえるのだ。それも容易く。
敵に回してはいけない。理性で認識するよりも、本能が感じていた。
この王女を今、敵に回すべきではない。
「だから貴方の望みをきっと叶えて差し上げられますわ」
「しかし条件がある、と?」
サイアンは慎重に王女を窺い、王女は嬉しそうに深く頷いた。よく分かっているじゃないか、とでも言いたそうだ。
そして口元に当てた扇をひらりとひるがえす。
「わたくしから提示する条件は、エカルラートをアズーリの高官に任ずること」
「エカルラート……」
どこかで聞いたことのある名をサイアンは躊躇いがちに口にする。
「憶えていまして?」
王女の言葉にサイアンは記憶の底をサルベージし、ゆっくりと頷いた。

エカルラートと言う名前は十年ほど前、アズーリの最高学府に在籍していた学生のもの。
直接の面識はなかったが、遠くで何度か見たことがある。いつも制服のフードを目深にかぶって地味を装っている少年だった。しかしその実、サイアンと同じ年齢で同時期に入学したのに、彼は通常三年掛かる学府のカリキュラムを半分の時間で終わらせてしまった驚異的な人物だ。
もちろん学府でも伝説に近い形でその存在を今もなお知らしめている。
しかし一方で、一年半しかアズーリにいなかった彼は、常に一人でいることが多く、親しくしていた人物は見受けられなかった。よって名前だけは有名だが、その人となりを詳しく知る人物はなく、謎の多い人間なのだ。
「彼がなぜ今になってアズーリの官吏になどなろうというのです?」
エカルラートほどの人物であれば、アズーリ政府が放っておくはずがない。しかし彼はアズーリ出仕の話を断って故国に帰ったのだと当時サイアンは学長から聞いていた。
もちろん彼の天才的頭脳はアズーリ学府にしろ政府にしろ、喉から手が出るほど欲しいものである。
帰郷の途についてからその名を聞かなくなったが、故国でその才能を埋もれさせる環境にあるのならば、是が非でも引き抜きたいと大臣や学者たちは言うだろう。
それほどの価値が、彼の人物にはある。

サイアンが怪訝に眉を寄せたと同時に王女の扇がひらと動く。
「だから申しましたでしょう。わたくし、大事な人とずっと一緒にいたいのだと」
王女の含みを持った視線を受けては察さぬ者はいないだろう。
――つまり、王女はエカルラートと恋仲であったと。
サイアンの憶測でしかないが、言外に王女はそれを示唆している。
己の婚約者に恋人がいても、怒るどころか傷つく素振りも見せない。後宮で育ったと言う彼女の感覚に違いがあるのも理由の一つであろうが、自分にも恋人がいればお互い様である。
大事な人と一緒にいたいと言い、エカルラートをアズーリの官吏に推す。
どれほどの鈍い人間だろうとこれほどの情報を見せられれば気付くはずだろう。
だがその計画は、王女がアズーリの王妃となってこその成功と言える。
「スカーレット殿下」
サイアンは思案に伏せた瞳を、一度の瞑目の後に王女に戻す。
「私は愛する人を日陰の身に置きたくはありません」
エオシンには常にサイアンの隣でサイアンと同じものを見て欲しいと思う。だから次代の玉座の隣にはエオシンに座って欲しい。サイアンは自分が用意できる最高の地位を彼女に捧げたいのだ。それが己の誠意だと思う。
彼女を愛すればこそ、全ての憂いから遠ざけ、互いが唯一無二の存在であり続けたい。
市井で言う所の妾の立場に追いやって、いらぬ胸の苦しみを与えたくはない。
「条件はもう一つございましてよ、王太子殿下」
しかし赤の王女は表情一つ変えることなく、無慈悲にもサイアンに言い渡す。
「アズーリ王太子とマゼンタ王女の婚約は決定事項ですの。明日の舞踏会で公表していただきますわ」
サイアンは自分の血の気が引いていくのを感じた。
だのに目の前の王女は青褪めるサイアンを見て嘲笑うかのように扇をひらひらと振るのだ。深紅の瞳は閃き、笑みに歪む。
「悪いようにはしませんわ、王太子殿下。きっと、わたくしもあなたも幸せになれます」
有無を言わさぬ眼力にはサイアンも首を縦に振るしかない。しかし心の底では幾度も否を叫んでいる。これではエオシンにあったところでなんと口説いてよいものだろう。

「――本当はわたくし、貴方のこと憎らしくてたまりませんのに……」
ぽつりと呟いた声は存外部屋に響いた。不意に口元から外した扇が隠していたのは下唇を噛み締める王女の真実。
弾かれたようにサイアンが目を見開く。
瞬時に王女は表情を改めると足音高く踵を返した。
「大臣方と打ち合わせをいたしましょう。エカルラートの処遇も決めねばなりますまい」
そう言うと大臣を伴い別室への扉に向かった。
「王太子殿下」
扉を抜ける一歩手前で王女は立ち止まり、背中越しにサイアンを呼んだ。
「取引をお忘れになりませぬよう、貴方の愛しい方はわたくしの掌中にあることゆめゆめお忘れ召さるるな」
首だけ振り返り、視線で射殺しそうなほどの強い眼差しがサイアンを貫いた。
最後の脅迫は強烈で、余計にエオシンの身が心配になるサイアンである。
「明日の舞踏会、楽しみにしております。とっても」
悪夢のようなひと時は、美しい王女の美しい微笑で締め括られたが、サイアンはこれから更なる悪夢にうなされる予感がした。




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