舞踏会が開かれると決まるやいなや、大臣たちは十歳も若返ったのではないかと思われるほどアクティブに飛び回り、準備に追われた。そのはしゃぎようと言ったら、むしろサイアンに不審を抱かせた。
催される宴のすべてが国王のために用意されるわけではない。好色な国王に色とりどりの美姫をあてがおうと言うのは舞踏会のただの名目であるのはサイアンにも分かっている。
国王は好色だが体が弱い。病気がちというわけではなく、基本的な身体能力が脆弱なのだ。子は年若い頃に儲けたサイアン一人で、それ以降何人の側室を持っても誰一人孕むことはなかった。華やかな宴席を設けて国王が美しい姫に目移りした所で、サイアン以外の王子は望めないと、口には出さぬが誰もが知っていることだった。
当然残された望みはサイアンに寄せられる。サイアンは今の所、大病も患わず健やかに育ってきた。それゆえに家臣たちはサイアンに一刻も早い婚姻と王家の繁栄を期待するのだ。
そんな家臣たちが、国王の不毛な遊び相手をただあてがうはずもなく、数多の姫を王城に滞在させることはすなわちサイアンにこそ妃となる女性を選んで欲しいと思っているのだ。
大臣たちの目論みまではあずかり知らぬところだが、サイアンとて一国の王太子として家臣たちの望んでいることくらい百も承知である。
確かに彼らが跡継ぎの少なさに、サイアンの婚姻を焦る気持ちも分からないではない。血族結婚を繰り返したアズーリの王家は次代を残せないほどその血を濃くしてしまった。従兄妹同士の国王と王妃にサイアンを残せたことは奇跡と言えよう。
大臣たちも王族とはつながりの薄い姫を勧めてきた。サイアンも婚姻は他国の姫や大臣の勧める他家の姫から娶るべきかと思っている。
自分の婚姻は政略の一つ。個人の意思、感情など考慮に入れるべき事柄ではない。考慮すべきことは王族の繁栄と国の利害。
けれどその反面、どうしようもなく恋にあこがれる。
未来の国家元首として、幼い頃から冷静に、いついかなるときも最善の判断が下せるように、あまり感情を表にしないように育てられてきた。恋は人の判断力を鈍らせる。恋に身を落とすのは愚かな行為だと、貴方の身に色恋など不要のものだと教えられてきた。
しかしそう教えた教育係でさえ、細君とは大恋愛の末の結婚だったと聞く。もっとも、恋愛結婚の経験者であるから言えた言葉なのかもしれないが。
小さい頃に母親が、乳母が、周りの夢見がちな女性たちが語って聞かせた夢物語。それは麗しの姫君と、勇敢な騎士の恋物語。あるいは王子との運命の出会い。いずれも刹那に恋に落ち、永遠の愛を続けられる生涯の伴侶との出会いを皆うっとりと語って聞かせ、幼い王子に刷り込んだ。
――たおやかで可憐な麗しの姫君と、運命の出会いをして恋に落ちたい。
幼児期に刷り込まれた記憶は、それ以降の教育にも左右されることはなく、強く根付いてしまった。
心の中は誰も覗き見ることはできない。だからサイアンが恋にあこがれているなど、本人が口に出さない限り誰も知る所ではない。
大臣たちが見合いをいくら勧めても、サイアンには興味が持てなかった。全てを用意された状態で出会って、果たして運命と言えるのか。
周りの期待も己の科せられた使命も、責任感の強い彼には痛いほど分かっていたが、それでも憧れていたいのだ。恋というものに。


扉の向こうから数人の話し声が聞こえて我に返った。
深く考え事をしていて時間を忘れていたようだ。窓の外を見ればもう月明かりでしか物の形を捉えることはできない。この部屋へ入れられた時は、まだかろうじて空が緋色の衣をまとっていた。
サイアンは舞踏会用に正装した姿でスツールに所在無さ気に座っていたが、扉の向こうの人の気配で立ち上がった。
夕刻前に開かれた舞踏会に王太子として列席したが、来賓への挨拶もそこそこに突進してきた大臣たちにさらわれてこの部屋に閉じ込められたのだ。
外側から鍵をかけられて、不穏な展開だが、サイアンは心を落ち着けて成り行きにしばし身を任せることにしたのだった。
樫の扉から声の振動がかすかに届き、サイアンは扉に身を寄せた。耳をぴったりと張り付かせ、扉から伝わる向こう側の声を聞き取ろうとしたのだ。
『ではお任せしますぞよ、スカーレット殿下』
『ほほほ、ご安心なさいませ。必ずや王太子殿下のお心を掴んでごらんにみせましょう』
会話を聞き取った途端にサイアンの眉間に深いしわが刻まれた。
慌てて立ち上がり、奥の部屋に逃げた。そこは寝室だったが、サイアンはベッドをクッションで人型に膨らませ、自分の上着を脱いでサイアンがもぐりこんでいるように細工した。
なかなか結婚しようとしない王太子に、大臣たちはとうとう痺れを切らしたようだ。かくなるうえはどこかの姫君と強制的に一部屋に閉じ込めて既成事実でもでっち上げようという算段なのか。
ベッドへの細工が終わった所で、隣の部屋が開かれる音がした。サイアンは少し慌ててベッドの向かいの出窓を開いた。窓から下を覗くと幸いなことにすぐ下の階がバルコニーだった。ここは地上3階だが、バルコニーを伝って一番下に下りることは何とかできそうだ。
向こうの部屋で自分を呼ぶ女の声が聞こえる。サイアンは窓の桟に手を掛けると、滑るように夜闇へ飛び出した。
下のバルコニーに足がついたと同時にサイアンは身を潜めるように壁に体を沿わせた。しばらくすると上階からけたたましい物音と女の金切り声が聞こえてきた。


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