いつやったか、三番目の兄貴の彼女が持ってきた旅行写真の中で、決まった角度で写ってる女がおった。
それがこいつのベストショットなんやろうなって思った。そういう自分の写真写りの一番良い角度知ってる女って、見栄っ張りか男に媚びるタイプが多いと俺の統計ではそう出てる。
どれもこれもカメラを意識した、左斜め四十五度からの少し上目遣いで、確かに可愛い顔をしてるけど、どれもこれも取り繕った偽りの顔にしか見えんから、俺個人としては「可愛い」とは思えんかった。
せやけど一枚一枚めくっていって、見事に同じ表情で写るもんやから、むしろ気になってしもて、他にも可愛い女の子は数人写ってたのに俺の目はその女を追いかけてた。
色白で、髪の毛巻いてて、つぶらな目と小ぶりな鼻が愛嬌のある可愛さやけど、判で押したような同じ表情は折角の好印象を半減させてた。
そこで全部が全部、同じ顔の写真やったらこの話はこれで終い。俺の興味はすぐに失せてたやろう。盛り上がりも落ちもない、何の面白味もない最低な話や。せやけどそれで終わらへんかったということは、ちょっと違う写真が混じってたから。

船の上、手すりに掴まって振り向きざまに撮られた素の瞬間。風に煽られた髪の隙間から見える白いうなじが、他のどれよりも女らしくて綺麗やった。瞬きをする手前の伏せた瞳は、長い睫毛が赤い西日で影を作り深い色を出していた。
今まで表情が嘘のように、驚くほど綺麗な顔やった。瞬きすら忘れるほど、呼吸すらも忘れるほど、長い時間その写真を見つめてた。
「むっちゃん、何を熱心に見るもんがあるん?」
横から顔を出してきた兄貴の彼女が不思議そうに問いかけてきて、俺はようやく我に返ることができた。
「別に・・・」
たかだか一枚の写真、それも女の写った写真に執着してるのを指摘されて、俺は気恥ずかしさからぶっきらぼうに写真を持ち主につき返した。
けど、ふと思い直して兄貴の彼女が受け取った写真の束からさっきの写真を抜き取った。そしてそれを突き出して持ち主に問いかけた。
「この人、この後どんな顔した?」
兄貴の彼女は二、三度目を瞬かせると、記憶を探るように中空に視線を投げた。
「いきなり写真撮ったことに怒ってた・・・かな?写真写り悪いから気合入れてんと写すなて殴りかからんばかりの勢いやったで。殺されるかと思ったわ。」
笑いながら大げさに冗談を飛ばす兄貴の彼女に俺も心の底から笑いを浮かべた。
「怒ってんのも悪ないかも。」
この顔が怒りに染まるところを想像したら、気持ち悪いほどの笑いがこみ上げてくる。
「何をニヤニヤしてんねん、キモイな。」
兄貴の彼女は眉間に皺を寄せて、若干逃げ腰やった。俺はすかさず上着の裾を掴んで引き止めた。逃げられてたまるか、これから大事な情報を聞き出すんやからな。
「ヤマト、お前を未来の義姉(ねえ)ちゃんやと見込んで頼みがあるんや。」
「勝手に義姉ちゃんにすんな。」
まあ例え本人が嫌がったところでもう遅いな。遠くない将来こいつは俺の義姉ちゃんや。知らぬは本人ばかりなりっちゅーやつやな。
「まあまあ、気にすんな。で、この人なんやけど。」
「尚ちゃん?」
尚ちゃんって呼ばれてるんか。俺は更に笑いを深くした。
「そう、その尚ちゃんをウチに連れてきてくれ。というか連れてこい。めっちゃ可愛いよな、俺めっちゃ好みやねん、正直一目惚れやわ。せやからヤマト、協力せえ。」
突っ込む暇を与えずに、俺は一息で思いの丈を語ったった。唖然としながらも、俺のほんのり赤く染まる顔に口の端を上げて、承諾してくれた。




「初めまして、あたし峠本 尚江(たおもと なおえ)って言うの。よろしくね?」
そう言うて笑いかけられた笑顔は、能面のように塗り固められた紛い物やった。
綺麗に笑ってるつもりなんか知らんけど、俺の目は誤魔化されへん。そんな嘘っぱちの顔されたかて、俺には侮辱されてるようにしか思われへん。むかっ腹の立つ!
男がみんな、愛想笑いの見分けもつかんと思たら大間違いじゃ!!
「あったま悪そー。」
実際、賢そうな顔はしてない。さりとてそないアホな顔でもないんやけど。
兄貴の彼女の友達は、さっきまで取り繕ってた笑顔を崩して唖然呆然。俺が更に暴言を吐くと、その可愛い顔が段々怒りに打ち震えて歪んでいく。
俺はそれが見たかった。万人に同じように向けられる同じような笑顔ではなく、たとえそれが憤怒であっても、俺に、俺だけに向けられる表情。
カッと目を見開いて腹の底から発せられる怒号に俺は嬉しくて笑いそうになった。
「こっちだってあんたなんかお呼びじゃないわよ!あんたみたいになんにも分かっちゃいないお子様なんか守備範囲外よ!」
けど最後の拒否の言葉に、一瞬にして頭に血が上った。売り言葉に買い言葉という具合にか、思ってもないことが、そらもうポンポン出てくる出てくる。
守備範囲外なんぞ言われて黙って引き下がれるか!俺は守備範囲内どころかストライクゾーンど真ん中じゃ!
このままでは嫌われて、恋人どころか知人にすらもなられへん、自分でも止めようがなくなった罵詈雑言の応酬に終止符を打ってくれたんは、親愛なる兄貴やった。食らった制裁は半端なく痛かったけどな。手加減なしでどつきよったでアレは。
せやけどじっと見つめられたら恥ずかしいてかなわんし、顔が赤くなるん見られんのも更に恥ずかしいし、兄貴に蹴っ倒されてるんもカッコ悪いし、そんな状況で大人しくできる高三男子がおったらそいつは不能や。俺は健康健全な青春真っ盛りの男子高校生やからな!好きな子の前では意地っ張りの見栄っ張りなんじゃい。
「なんやねん、なに見てんねん!このブス!」
せやから、ついついこんな憎まれ口も叩いてまうしやな。
兄貴とその彼女のとりなしで、怒りは解いてくれたみたいやけど、ここは俺がやっぱり謝らんと場は収まらん・・・やんな。
俺は兄貴の足の下からのそのそ起き上がって、彼女の前に立った。むっちゃ緊張するねん。
彼女がちょっと口元を緩めたんに勇気付けられて、ようやく言い出す決心をした。
なかなか出て来ん声に苛立った彼女にせっつかれた勢いで、大声で大胆告白してもたけど、言うた瞬間にもう肝は座ってしもた。どうせやったら押して押して押しまくったれや!
俺は彼女の好みである「金持ち(の息子)」「将来有望」「顔」の全てを兼ね備えているから、あとは押しの一手や。男に内面性を求めていないその割り切った姿勢がむしろ素晴らしい。これで「優しさ」とか「気配り」やとか「思いやり」とか言われた日には諦めざるを得ん。
金持ちの末っ子であるがゆえに、この三つはまるきり不得手や。他人を気遣ったことなんぞ生まれてこの方ないからな。
案の定、俺のすっぽん並みの食い下がりと完璧なステータスは、彼女の中でウィークポイントである「年下」を軽く凌駕していたらしい。
再三の求愛に、彼女が目を泳がせながらようやく頷いた時、俺は嬉しさのあまり彼女に抱きついて、彼女は驚きのあまり俺を殴り倒した。
今後の力関係を表しているようで、俺は床に倒れ伏しながら複雑な思いを抱いたが、惚れた方が負けっちゅーしな、仕方ないか・・・な。



こうして俺と尚江の付き合いは始まった。
その後、数ヶ月で俺は高校を卒業し、大学に入った。残念ながらヤマトや兄貴と一緒のトコとちゃうから、俺の愛しい彼女とも一緒とちゃうわけなんやけど、どうしてか愛しい彼女の尚江は暇を見つけては俺を迎えに来る。
頻繁に会えるんは嬉しいけども、自分の講義はどうなっとんねん。そない言うたら、卒業できる程度には単位取ってるから大丈夫やと。まあ、卒業できんでも俺が嫁に貰たるけどな。
ほんで手を繋いで俺んちに一緒に帰って、夜になったら俺が彼女の家まで送り届ける、そんな日が数ヶ月続いた。なんでいちいち迎えに来るんかよう分からんねんけど、大学の構内に前触れもなく尚江の姿を見つけるとどうしようもなく嬉しかった。俺、男五人兄弟の末っ子やから、かまわれたがりなんかも。
尚江はいつ会いに来るとか言わへん。せやけど俺は尚江が現れたら、例え友達との予定があろうとも土壇場キャンセルを実行する。大概ブーイングが起こるけど、みんな俺が彼女にベタ惚れなん知ってるから、最後は冗談交じりの嘲笑と次を約束して別れる。
ある日も帰り支度をしながらこれからの予定を話し合う。
「佐想、飯食いにいかね?」
「迎えが来んかったら行く。」
「ああ、例のカノジョ?」
俺は無言で頷いた。尚江は大体、週2,3回くらいのペースで来る。曜日は火曜木曜が多い。逆に水曜は滅多に現れん。ちなみに今日は水曜日や。
「たぶん、今日は来んと思う。」
じゃあ行こう、とグイグイ体を押されて構内を出た。いつになく押しの強い友達を不審に思ったが、あれよあれよという間に店の前まで連れて行かれとった。
そこで待ち合わせていたらしい数人の女を見て、俺は咄嗟に踵を返した。
「俺帰る。」
「待て待て待て待て待て待て待て待て!!!」
腕やら足やらに噛り付かれては俺もそっから先には進まれへん。大の男3人に食らい付かれてみい、大岩引きずってんのに相当するで。足腰鍛える前に傷めてまうわ、って何の修行じゃ。
「お前ら、これは俗に言う合コンちゅーやつや。彼女持ちの俺には全く不相応なイベントやないかい。」
「頼むよー!佐想が来てくれるっつーんでやっと約束取り付けたんだぞ!」
「オレたちの青春を輝ける一ページにする手伝いくらいしてくれよ!」
お前はいいよ、彼女持ちなんだから。そない情けなく泣きつかれたら、俺のみみっちい同情心も揺さぶられへんことはない。同じ男として気持ちは分かるからな。
俺は天を仰いで溜息をついた。
「尚江にバラしたら、どつきまわすからな。」
野太い歓声を聞きながら、俺は彼女のことを思った。図らずも尚江を裏切りそうになっている状況に恐怖する。正確にはそれがバレた時の尚江の反応に。尚江が烈火のごとく怒り狂ってくれれば俺はどんなに嬉しいやろう。尚江に想われていることを実感して、おかしくなりそうや。
でも尚江はもしかしたら俺の浮気(する気もないけど)なんか気にも留めへんかもしれん。
なんせ彼女が好きなんは俺でのうて、俺のバックにある佐想という金づるやから。
ああアカン、最初に覚悟はしてたというのに、考えてたら気が滅入ってきた。
一人、ブルーな空気を背中に背負っていることなど周りのみんなはお構いなしで、男どもはガツガツしてるし向こうの女どもはきゃぴきゃぴ(死語)しつつも抜け目なくこちらを観察してる。
幹事であるツレが勢い良く号令をかけて、一同は店へ入ろうとした。俺はみんなより遅れて気の進まんながらも店の敷居を跨ごうとした。その時やった。
不意に振り返ったその先に、今まで俺の思考を占領していた人が立っていた。
表情固く、眉根を寄せて、仁王立ちした尚江は怒っているように表面上見えた。
けど不安定に揺れる瞳から、今にもこぼれそうな涙が見えた気がして、俺の体を罪悪感という矢が貫いた。
けれど尚江の瞳は一度の瞬目によって色を一変してしもた。眇められた眼差しからは冷ややかな感情が窺い知れる。
「今から合コン?いいんだよ、行ってきて。」
なんや挑戦的な態度に俺は少なからずムッとしたが、尚江にはいつでも誠実でありたい俺はそんな挑発には乗らん。
「合コンなんて知らんかったし、ツレに騙されて連れて来られたんや。帰ろうとしたら泣き付かれて、よう断らんかってん。」
俺は全面的に悪いことなんぞひとっつもしてへんねんからな、そこの所は何が何でも主張しとかなアカン。
「あ、そう。」
そんな俺の意気込みも虚しく、気のない返事を残して尚江は踵を返した。俺は泡を食って追いかけた。腕を掴んで振り向かせると尚江はなんと泣いていた。
「うえ!?」
俺は吃驚の声を上げた後、どうしてええんか分からんと、ただ戸惑うばかりで、彼女の涙を拭うとか優しい言葉に一つもかけてやるとか、そんな気の利いたことも出来ひんかった。
「なんで、泣くねん・・・。」
理由が分からんほど鈍くはないけど、それでも言わずにはおれんかった。涙を流す尚江に申し訳ないと思いつつ、泣いてくれる理由が嬉しかった。
「嫉妬してくれてるんか。」
聞く気なんか更々なかったはずやのに、思わず呟いていた。慰める言葉も出て来えへん役立たずな口やのに、こんな時だけ機能するんやから、自分の口やというのに忌々しい。
尚江は嗚咽を一瞬飲み込んで、俺を睨み付けた。
「そんなの、するわけないでしょ!」
はっきりした否定の言葉に少なからず俺の心は傷ついた。
「こ・・・これは俗に言う心の汗というもので・・・」
しどろもどろに筋の通らん言い訳をしだした尚江を見下ろして、すぐさま傷が癒えたんは言うまでもなく。
尚江の目が泳いでるのを面白いなあと思って見てたんやけど、突然口も目も噤んだかと思えば乙女座(バルゴ)のシャカが目を開くかのごとく、すごい眼力で睨まれた。
「っっ・・・、いつむ君が悪いんだから!!」
「俺は悪ない。」
言うた後で後悔した。黙っとったら万事上手く治まったんとちゃうやろか。しかし言い訳するつもりは毛頭ないが、俺は断じてやましいことは一つもしてへん。俺は正直やからつい口をついて出てしもたんや。
水を差すなちょっと黙っとけ。と今にも聞こえてきそうな眼力に、俺は目を逸らして尚江の話の続きを待った。何か色々言いたそうやし。
「いつむ君が悪いよ。あたしの気持ち、ちっとも分かってくれてないんだもの。」
うん、まあ、尚江の心の機微を推し量ろうとしたことは全然ないな。鈍くはないつもりやけど、はっきり言うてくれんと分からんことの方が多い。
「いつむ君、高校生の時と違って、大学に入ってから艶っぽくなったっていうか・・・」
尚江は頬を染めつつ目を泳がせた。俺は尚江の言葉の意味を理解できひん。はあ?艶っぽいっちゅーんやったら今のお前のほうがよっぽど艶っぽいけどなあ。俺は今、お前にチューしたいよ。しばかれるから、ようせんけど。
「もともと賢いし、背も高いし美形なんだけど。何て言うか、男らしくなったっていうか、思わずギュッと抱き締めたくなるっていうか。あ、ちちちち違うの、抱き、抱き締めたいとか違うの。」
俺が抱き締められんの?どっちかっていうと尚江を抱き締めたいけどなあ、男としては。ちゅーか何気に褒め殺しやな、照れるでまったく。
「ととととにかく、いつむ君は最近とっても魅力的だから、違う大学通っててそこで美人を引っ掛けてたら殺してやりたいほどムカつくな、って思ってたの。」
殺すとか、物騒な。それを一般的に嫉妬と言うんやで、尚江さん。
そうかそうか、恋愛は惚れた方が負けやとはよく言うたもんやけど、惚れてるんは俺一人だけやないみたいや。きっと彼女には頭が上がらんけど、それでも俺だけの一方通行やないことが救い。俺の実家(の金と地位)が大好きなんや、俺はおまけなんやと思ってたんやけど、意外と彼女の中で俺の存在は大きいようや。
「俺はお前のこと好きや。」
感極まって口にした言葉に、尚江が赤面して顔を逸らした。
「い、いきなり何言ってんの。」
道の往来でイチャイチャするんは嫌いなんやけど、ここでズバッといっとかんな男が廃る!
抱き締めて耳元で囁いた。
「俺みたいな性悪は、お前みたいな嫉妬深い女がいいねん。」
「だれが!嫉妬深・・・」
「お前しか要らん。」
俺の背中におずおずと、尚江の細い腕が回されるのを感じた。


>>NOVEL TOP