『3月26日のこと』 01. 明日から春休みの今日は終了式。 校長先生のありがた〜いお話を聞いて通知表もらって帰るだけ・・・と皆さんはお思いでしょうか? いえいえ、とんでもありません。 少なくとも我が校は伝統ある”お嬢様学校”として未来の良妻賢母を育成する女の花園。そんなお嬢様学校の恒例行事は年に6回催される”大掃除”。 各学期の始業式、終業式および終了式にはお世話になった校舎に感謝を尽くして掃除をしますの。 慎み深く思慮深く、礼節を重んじるお嬢様方は、皆さん一様にそろいのエプロンを身につけて、雑巾片手に床に這いつくばるんですよ。 ワックス掛けよ、窓拭きよ、トイレ掃除よ、庭掃きよ。 ゼイゼイゼイ・・・。 ブルーのチェックのエプロンは可愛くなくはないけれど、やっぱり掃除は好きくない。 面倒だといえばそれでお仕舞い。 けれど学校の方針ですから、担任教師、シスターの見守る中、この中で一体何人が将来今ここで学んでることを実践するのか、疑問に思っても誰も口にはしない。でもね、磨ききった窓ガラスの曇り一つない美しさ。ワックス掛けの終わった床の光沢。この達成感はそうそう味わえないんじゃないかな。 これでもらった通知表も満足いく結果であれば、諸手を挙げて万々歳、と言いたい所。しかしそうは問屋が卸さない。 そんなに人生順風満帆でもメリハリがないでしょう。 ・・・平たく言うと、私の成績は中の下。下には下がいるけれど、せめて上を目指して歩みたい。 勉強は嫌いだけど、もう少し・・・の向上心はあるにはある。 成績に関してうるさい筈の身内は割りあい寛容。 祖父母も父親も悪い成績を取ったって、「女の子はいずれお嫁にいくから」と大して怒ったりしない。 同じ敷地内に同年代の従兄弟がわんさかいてるから、必然的に比べられそうなものだけど、なんだか私は特別扱いでそれが私としては苦痛。 従兄弟達は口をそろえて「ひふみちゃんは怒られなくていいなあ」とか「ひふみばっかり贔屓してる」と不平不満を言うけれど、私にとってはそれがそもそも男尊女卑だと思わなくもない。 従兄弟らは同等に比べられ、明日の佐想総帥を目指して切磋琢磨しているようだけど、私はその中に入れてももらえない。 別に佐想の総帥になりたいのかと問われれば、否と断言きるが、やっぱり面白くないわけで。 勉強嫌いだけど負けず嫌いで、密かに従兄弟達に対抗するにはしてるけど、実力に伴わないのは本来の出来の良し悪しか。 まあ私の成績は常に中間をキープしている状態。 ちなみに妹のみっちゃんも、私と同じような扱いを受けているが、あちらは大変出来がよろしいので祖父も考えを改め中。 他の追随を許さぬ賢さで、密かに佐想の後継を狙っているようです。 姉の私としてはもちろん可愛い妹をガッツリ応援する所存です。 がんばれみっちゃん、これからは女の時代だ! 高校生活最初の一年は結局いつも通り、平均をキープしたままで終わった。 平均的な数字が並ぶ通知表、一つ溜息を吐いて鞄に放り込む。 せめてもの心の救いは皆勤賞だったことでしょうかね。 帰り支度、友達にしばしの別れを告げて正面玄関へと急ぐ。 下駄箱で上靴から学校指定の革靴に履き替えて、扉を出ると階段の下にロータリーがある。そこに迎えの車が所狭しと並んでいるのだけれど、今日はなんだか雰囲気が違った。 どこか浮き足立った春っぽい風が吹いている。春にはまだ早いけど? どうしたんだろ、と思いつつ家の迎えの車を探していたら背後から声が掛かった。 「ひふみちゃん。」 私ったら、どうして気付かなかったのかしら。こんなにもピンクの視線が集中してるのに。 「紅子さん。」 背後に真っ赤なガルウィングドアの外国産車を従えて、細いサングラスを取る仕草まで、テレビの中の出来事のよう。 薄い唇をスッと伸ばして笑う様は、名前の通り本当に”紅”色のよく似合う人だ。 恋心を抱いていなくても、思わず高鳴る心臓がある。 その人本人に惹かれるのはもちろんのこと、いつかああなりたいと羨望の思いが彼女に向けられる感情。 まるでミツバチが花に吸い寄せられるように、私はぼんやりと紅子さんの元へフラフラ近づいていく。 ああ、いつもあの人に注意されてるけど、やっぱり紅子さんってば美しいわ・・・。 はっ 「ひっふみっちゃ〜ん!!」 がばっっっ サッッッ 寸でのところで私は紅子さんの強力な抱擁から逃れた。 じりっ・・・っと私を狙う猛禽類の眼がギラギラと輝いている。怖っっっ! 「あら、どうして逃げるのよう。」 力強く動く指先はワキワキと蠢いていて、抱きつかれた瞬間にその指の動きでどこを揉みしだくつもりだったのか考えるだに恐ろしい。 「そっ、それよりも。どうして紅子さんがこんな所にいるのですか!?」 止まる気配のない白魚の指に目が離せない。ヒィィィィィ・・・!! 冷や汗が流れる中、私は必死で話題の転換を試みた。いくら卒業生だからって、母校なんか滅多に来ないと思うのよね。たとえ家が自転車でいける距離でも行かないわよ。用事がないもの。 「上司のおつかい。」 私の質問の答えを片手間に、狙った獲物は逃さない。目は口ほどにものを言っています!! 「・・・・・・」 じっとりと冷や汗が背中を伝った所でようやく彼女の言わんとすることを理解した私。それほどこの目の前の狩人が恐ろしかったということなんだけど。 「上司というと、尊さん?」 尊さんは私のか・・・っ、かれっ・・・いやっ!言えない!恥ずかしくて言えない!! まあ、アレですよ、『とっても親しい知り合いのお兄さん』がわざわざ自分の秘書を使ってお迎えに寄越すだなんて何を企んでるんでしょうかということですよ。 「そうそう、だから信用して?なーーーんにもしないから。」 って、その手を下ろさんかい! 「なっ、何の用事で。」 「それは行かなくちゃ分からない。ついでにお家にも連絡済みなので、迎えの車は来ませんからご令嬢。」 だから帰るにはこの車に乗るしかないと? ううううう、いじわるだ!! さあ、私の胸に飛び込んでいらっしゃい!というゼスチャー付きで美しい顔が輝いていますが、飛びついた瞬間にどこを弄られるかたまったもんじゃないのだ。 「こりゃーーー!内丸、後ろがつかえとるだろ。その真っ赤っ赤な車を早よ出さんか!!」 いつになったら紅子さんが飽きてくれるだろうかと思ってるところへ、学校の先生がプリプリと校舎から出てきた。天の助け! 「あ、枯葉じい。」 枯葉・・・青葉先生なんだけどさ。しわっしわのご老体で現役教師してる、この学校の生き字引とも言える先生なんだけどさ。 青葉って皮肉な名前だなとは思ってたけどさ。 紅子さん、ストレートすぎやしませんか? 「じーちゃん先生は話が長いから退散〜〜。」 言うが早いか私の腕を引っつかんで、ド派手な車の中に押し込めたら急発進。 う〜ん、さすが世界に名だたる外車。スタートダッシュが命なのね。 これでモナコを制するのか。 あ、しまった。貴重なガルウィングの開閉を見てなかった。 「それで、美人秘書サンの上司さんは私に一体何の用なのでしょう?」 素知らぬふりで窓の外を眺めながら、私は紅子さんに聞いた。 「さあ?私は知らない。私はただのおつかいだから、大切なお嬢様を目的地にお連れするだけですわ。」 彼女はチラリと私を見た。 つまり、心当たりは私にあるのみ。 さて、・・・まさかね。 でもねえ・・・。 まあ、本人に会えば分かることでしょう。 そうなればと、手持ち無沙汰に私は車内を見回した。 あ、突っ込まれて忘れてた。シートベルトを締めなくちゃ。 「あ、そうそう、シートベルト締めてね。でないと減点されちゃう。ついでに怒られちゃう。」 私の行動を見て首肯した紅子さんは、誰に怒られるとは言わなかった。 「ところで、どこに向かってるんですか?」 いくら通学を自動車でしているといっても、私は所詮箱入り娘。通学の道路くらいしか景色も憶えていないのよ。 だから、紅子さんの運転する車が一体どこを走っているのか皆目見当もつかない。 「ん〜、内緒〜〜。」 えらく間の抜けた物言いをしながら、紅子さんは運転に集中しているようだった。 あんまり邪魔しちゃいけないのかしら。 私はいつも他人の車の(あえて誰とは言わないが)助手席に乗る時は、運転手にあまり話しかけない。 どうしてって言われても、なんとなく。 気を遣ってると言われればそうだとも言えるし、話しづらい雰囲気だからとも思える。 だから今回も黙り込む。そして自分の物思いに耽るのだ。 さて、これから会うであろう人とは実は暫く会っていない。 ついこの前まで三日と空けずに彼の家に行っては夕飯をご馳走になったり(毎度のことだけど)、他愛のない話しをしてみたり。 それが急に忙しくなったとかで、出張も重なってか、当分は会えないと本人が手を合わせて謝ってきた。 彼も立派な社会人ですし、そんじょそこらのサラリーマンとは桁外れに忙しい身らしいのは、私も理解している。 だからそれは致し方のないことと、頭では分かってた。 でも感情は抑えられるはずもなく、もうすぐ特別な日なのにそんな日まで会えないのは悲しすぎる。長く会えないのは寂しい。そして不満だ。 私は膨れっ面で彼の家を後にした。 最後に見た彼の表情は、幼い子をなだめる大人のそれで、私はますますへそを曲げてしまったのだが。 どんな顔して会えばいいのか・・・。 私は止まることなく流れる景色を、窓の外に見ていた。 |
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