たまたま土日の次の月曜日が、ハッピーマンデーのごとく創立記念日だったので、金曜の夕方からいそいそと鞄に荷物を詰めると尊さんの家に押しかけた。
「月曜は仕事だよ？」
だから私の相手は出来ないと言いたいんだろうけど、それは私も承知の事実。
「お帰りなさいを言うまで待ってる。」
お出迎えしてあげて、玄関でお荷物持ってあげてお夕飯も作っておいてあげるのよ。
なんかそれって『奥様』じゃないですか！？
ふふふふふ・・・・・
「何怖い顔してんの？」
尊さんの言葉に振り返ると、ちょっと心配そうに眉根を寄せていた。
あらうっかり。にやけ顔を抑えるあまり、しかめっ面になってたようで。
「今日の夕飯考えてたの。」
ごまかしごまかし。えへへと笑ってごまかすのよ。
「いいよ、作るから。それより、月曜は帰ってくるの楽しみだな。」
手を握ってちょっと照れ笑いを浮かべるから、私の方が恥ずかしくなってしまいました。



で、月曜日。
ゆっくり尊さんの帰りを待っているはずだったんだけど、私の目の前には高く聳え立つオフィスビル。てっぺんには燦然と輝く鶴のマーク。
はい、わたくし只今つるみや商事の前に来ております。
つるみやだから鶴のロゴって安直〜〜。佐想もSASOで大差ないけど・・・。
手には書類の入った角型2号封筒。A4の書類が入る大きさのやつです。
皆さん大体の察しは付いているかと思いますが、そうです、あの人忘れて行っちゃったんですよ、大事な会議の書類とやらを。慌てて電話してきて、心優しい婚約者様が持ってきて差し上げてますの。
颯爽とエントランスをくぐり抜けて、目指すは受付。
「お早うございます。」
にっこりと笑いかける受付嬢のメイクはこってり厚塗り。一日中人目にさらされるポジションですものね、しっかりメイクは当たり前でしょうね。うん、綺麗に塗ってらっしゃるわ。眉毛綺麗。
「あの、佐想ひふみと申します。常務の水流尊さんをお願いしたいのですが。」
「佐想、様ですね。少々お待ち下さい。」
笑顔を崩さす素早い応対。さすがは一流企業にお勤めになるだけはあります、しっかり教育されてるようで。しかし私は見逃さなかった。綺麗な眉毛が一瞬だけどピクリと跳ねるのを。
なに、私のような小娘が常務を呼び出すのは不審かね？
受付のお姉さんは内線で尊さんのいるフロアに連絡を取っているよう。
「水流はただいま参ります。」
受話器を置いた後、うわべだけの笑顔が取り交わされた。
にこ。
にこ。
私は受付の近くで待っていたんだけれど、他に人もいなくて、手持ち無沙汰にしていたら気を遣ってくれたのか受付のお姉さんが声をかけてくれた。
「常務の、妹さんですか？それとも、ご親戚・・・。」
いやいや、気を遣って話しかけたというよりかは気になっていることを人気がないのをこれ幸いに訊ねてるという方が正しいか。
うーん、一瞬でもお姉さんをいい人だと思ったのが悔しい。
その含みのある聞き方に、尊さんの婚約者としていい気がしない。
でも失礼な態度はとらないの。私は佐想ひふみ。SASOのお嬢様で未来の水流家の一員なんだから。
「そんな風に、見えます？」
ふふふ、と私に出来る上品な笑顔を作って、穏やかに聞き返してみた。っていうか佐想って名乗ってるんだから妹であるわけがないんだけど。
「いえ、お客様くらいの年頃の方が常務を訪ねていらっしゃるのが珍しいもので。」
普通、高校生が会社に来る用事なんてないわよね。まあ、それは分かります。
「ああ、忘れ物を届けに来たんです。」
そう言って私は手に持った封筒を挙げて見せた。他人が忘れ物を届けに来る。忘れ物を届けに来る他人って、どういう間柄でしょうね。
私の笑顔とは裏腹に、受付のお姉さんの唇はギュッと引き締まった。このお姉さんももしかして玉の輿狙いだったかな？残念ですね、ターゲットは尊さんの従兄さんとか叔父さんに移して下さい。あの辺は狙い目だと思います。
私は余計なことは言わずにただ笑うだけ。お姉さんは愛想笑いを浮かべてまだ何か聞きたそう。
だけどプライバシーよね、聞けないわよね、せいぜい噂話に花を咲かせて下さいな。
向こうの方でエレベーターが1Fに到着する音がした。チン。
だから私は尊さんだと思って満面の笑みを浮かべて振り返ったのに、出てきたのは知らないオジサンオニイサン。あれ、拍子抜け。
だけどその中から知ってる顔を見つけてちょっとホッとした。
「ひふみちゃん。」
「紅子さん。」
尊さんご自慢の有能美人秘書さんです。
紅子さんは受付のお姉さんにありがとうと格好良い笑顔を送って私をエレベーターに促した。
もしかしてもしかして常務さん自ら書類を取りに来るなんてことはしないんですか、しょんぼり。
「そんなに残念そうな顔しないでよ。じょーむさんってばキリキリ働いてくんなきゃいけないのに大事な書類忘れるし、取りに帰るとか言い出すし。ひふみちゃんに持ってきてもらったかと思えばここまで迎えに行くってきかなくて。貴方に会わせたら最後、仕事サボるの分かってるから、ゴメンネ。」
会わせられなくて、と有能鬼秘書さん。
一応あの人会社では仕事してるんですね。いっつも休日にしか会わないからあんまりピンとこなかった。
「いえいえ、仕事中の尊さん見れないのはちょっと残念ですけど、仕方がありませんものね。」
仕事の邪魔しちゃ紅子さんに悪いもの。いえいえ、馬車馬のように働かせて下さい、私が許します。
でも残念無念は隠し切れなくて、しょんぼり肩を落とす私は紅子さんと一緒にエレベーターに乗り込んだ。
そういえば、紅子さんは一体どこへ連れて行ってくれるのでしょう？あ、そうね、お義父さんにご挨拶しなくちゃいけないわよね、まだ嫁じゃないけど嫁同然に思われてるみたいだし。円滑な嫁舅関係を築くために細やかな気遣いは必要よね、かなり面倒だけど。
と思って気を張っていたのに、連れて行かれたのは社長室じゃなくてなんかよく分からない第3資料室みたいな小さい部屋。
「紅子さん、ここなんですか？」
「ここの隣がじょーむさんの働く執務室で、」
紅子さんは扉を開けながら私に手招きする。
「じゃーん。」
言って見せてくれたのは、部屋の真ん中にどどんと置かれた特大カラーモニタ。その隣には4分割された小型のモニタで、各々の角度から同じ部屋の中が映し出されていた。
これって・・・
「そうそう、お隣のお部屋が盗撮されていまーす。」
軽い口調で紅子さんは脇に置いていたリモコンのスイッチを押す。すると真ん中のカラーモニタが動き始めて映し出されたのは愛しの愛しの尊さんなのでした。
「これリモコン。4方向から撮ってるから好きなアングルでどうぞ。じゃあ仕事に戻るから飽きたら適当に帰ってね。」
紅子さんが扉を閉めて、向こうの部屋からまた扉を開ける音が聞こえた。壁を隔てて小さく「ただいまー。」と紅子さんの声で聞こえてくる。その後にものすごく低い声で「おかえり。」と尊さんの声が聞こえた。
それを合図に私はモニタの前に陣取った。部屋の脇に置かれていたパイプ椅子をずるずると持ってきて、リモコン片手にジッと見入る。
なんていうか、ストーカー紛いのことをしてるっていうのは重々承知なんですけれどもね？
でもせっかくお膳立てしてくれているのに無碍にするのはよろしくないと言いましょうか。
私が横で見てたら仕事バージョンで素の尊さんなんて見れないと思うのよね。
ドキドキ。
残念ながら盗撮カメラは音を拾っていないので尊さんや紅子さんや他の秘書さんが何をしゃべってるのかよく分からないのよね・・・。と考えていたところへ小モニタの横に小さい機械が・・・。
折り畳んだ紙切れが付いていて、広げてみたら『盗聴器』と荒々しく筆文字で書かれていた。
・・・・・・ここの会社、どうなってるのかしら。
私の記憶が正しければ、この筆跡は尊さんのお父さん・・・。社長自ら盗聴に盗撮？いえ、私的には良好な嫁舅関係が築けそうで何よりなんですけどね。
そして私はいそいそと盗聴器からつないだイヤホンを耳につけるのであります。
『横川さん、この書類がプリントアウト終わったら企画室の服部さんに取りに来るよう連絡してください。内丸、高良はどこいった？』
『お手洗いに席を立たれたっきり戻ってこないと向こうの山野秘書が奔走しています。』
『・・・・・・探し出せたら、あいつの机の上にある書類全部に捺印させといて。』
『伝えておきます。』
高性能の盗聴器は、パソコンのキーボードを叩く音すら拾ってくれるみたい。
横川さんって一度お会いしたことがある。古株の社長秘書さんで、50代の小父さんだったはず。今は常務付きで尊さんの教育してるってお義父さんから伺っています。
尊さんの声音は普段と変わらないように聞こえるけれど、少し硬い雰囲気がなくもない。仕事中だれでも気を張り詰めているものなのかも知れなけれど、紅子さんは今忙しいようなことを言っていたから、心が疲弊しているのかも。
『常務、届けていただいた書類に不備はありません、全てのページが揃っています。会議まであと40分になりました。』
私が渡した書類を紅子さんはチェックして腕時計を見る。淡々とした口調が耳に届いた。
それと同時にキーボードのタイピング速度が上がったよう。会議までに仕上げないといけない書類なのかな？
それからは延々とタイプ音が聞こえるのみ。脇で横川さんがプリンターの整備をして、プリントアウトに備えてて、紅子さんは死角になったところで書類を見てるんだと思う。紙を捲る音がかすかに聞こえるから。
普段めったに見ることの出来ない、冗談抜きで真剣な表情の尊さんに、私の心はときめく。ほら、いっつもニコニコ（ヘラヘラとも言う）してるから、真顔の時ってしょっちゅう見れるものじゃないし。
私に向けられているわけでもないその表情に胸がドキドキするの。仕事する姿がカッコいいって正直思ってしまう。でも本人には絶対に言わないけどね。
私は思わずにやけてしまう口元を、誰に見られるわけでもないのに両手で覆い隠して、椅子に縮こまって尊さんに釘付けになっていた。
ああ、こうやって見てるだけじゃなくて、会いたいなって思うのはきっと一方通行の想いなんだわ。
そんなことを考えてしまうと途端に虚しくなってしまう。盗撮盗聴もなんだか馬鹿らしいことのようで、私は瞳を伏せてひとつため息を吐いた。もうやめにしよう、こんなことは無意味だわ。
「・・・・帰ろ・・・・。」
椅子を片付けようと立ち上がりかけた。
『ふみは・・・』
いきなり名前を呼ばれたのでビックリしてパイプ椅子を取り落としてしまい、派手な音が響いた。
隣の部屋にも聞こえていたようで、モニタの向こうの尊さんが一瞬気を逸らせる。
『何か言ってた？』
気をとられることでもないと瞬時に判断したのだろう、彼は何事もなかったように話を続けた。視線はディスプレイを睨んだまま、指はキーボードを打ったまま。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・馬車馬のように働かせてやってくれと。』
こらーーーーー！！！！美人秘書！違うからソレ！違うから！！！っていうか、心の中で考えてたことをどうして紅子さんが知ってるのさ！！？ひええええええ〜〜〜〜。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・他には？』
一瞬顔を上げて怯んだようだったけど、再び気を取り直してパソコンに向かう。
『あんたに会えなくてしょんぼりしてた。』
『僕も会いたかった。』
どきん。少女マンガのように胸が高鳴る。
私は画面に食いついて、片付けかけていたパイプ椅子を再び広げて座り込んだ。
『家に帰ったら会えるんじゃない、ちょっとくらい我慢しなさいよ。』
仕事中でしょ。と怒る紅子さんの言葉はごもっともで、反論の余地もないんですけれど。
『ちょっと充電させてくれても良かったじゃないか。』
ムスッと不貞腐る尊さんはやっぱりパソコン画面と睨めっこ。キーボードから手を離して隣のマウスをチョコチョコっと動かしたら横川さんの手入れしたプリンタが動き出した。
一段落ついたところで尊さんがひとつ溜息を吐き紅子さんを見上げた。情けないことに、眉根を寄せて泣きそうな顔だった。ああ、本当に馬車馬のように働かされてたのね。私に癒しを求めるほどには・・・。
『男が泣くな！！』
でも紅子さんは絶対に折れない。男には甘くない。そんな所が私は大好きです。
『・・・もう会議の時間です。常務ご用意を。』
紅子さんが尊さんの机に近づいて、軽く頭を下げる。それに合わせて尊さんが立ち上がり、出口方向へ歩いていった。
紅子さんはその背中を追い掛けながらポツリと言う。
『ひふみちゃん、もう帰ってるわよ・・・。』
だから私はパイプ椅子なんか蹴飛ばして、出口に向かって走り出したの。扉の向こうで隣の部屋の扉が開閉する音が聞こえたの。
体当たりする覚悟で扉にかじりついて、勢いよくドアノブをまわした。
出て行った先には、もう本当にナイスタイミングで尊さんの驚いた顔。横からいきなり出てきた人影にビックリしたのね。私だと気付いてさらに目が見開かれる。
私は勢い込んでそのまま彼にタックルした。当然尊さんは咄嗟のことにも関わらず、私を上手に受け止めてみせた。
「・・・・・・ふみ？」
驚いて何も言い出せず、私の名を呼ぶことしか出来ない彼を見上げて、笑顔を作った。
首に手を掛けるとソレが合図のように身を屈めてくれる。
頬に唇を寄せて、そのまま耳元で囁いた。
「私も会いたかった。」
手を離して目を合わせた彼の表情は、今の状況を何も理解していなくて、何度も瞬きをするばかり。でももう会議の時間なんでしょう？だから詳しいことは家に帰ってきたら教えてあげる。
「お仕事、頑張ってね。家で、帰ってくるの待ってるから。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・うん・・・。」
なんだか新婚さんのような気分で、私はついでにネクタイを締めなおしてあげた。キチンと締まってましたけどね、ネクタイ。
後ろから美人秘書さんが急き立てて、常務さんが会議に赴くのを私は見送った後、横川さんにご挨拶して部屋の中を片付けて、お義父さんにご挨拶して、尊さんの家に帰ったのでした。

それから家に帰って晩御飯の支度をしながらのんびり尊さんの帰りを待つこと数時間。
帰ってきた尊さんはえらく上機嫌で、今日帰るはずだった私がもう一泊させられたのは、また別の話。


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