【希望的未来予想と、予想もしなかった展開】


ワードプロセッサのタイピング音、ファックスの受信のコール、書類を捲くる音、立ち働く人の足音。
「沢柳さん、この見積書の計算合ってるか確認してくれるかな?合ってたら打ち直してプリントアウトしておいて。」
同僚の山川さんに下書きの計算書を渡されて、ウチは微笑む。
「根岸さんから頼まれている書類の後になりますけど、急ぐのであれば別な人に・・・。」
「急がないけど、どれくらい掛かる?」
脇に置かれた紙束と、ワープロの液晶画面を交互に見ながらウチは考える。
「そうですね、今日の昼過ぎには出来上がると思いますので、山川さんのは夕方には終わるはずです。」
彼はそれなら大丈夫だと、顔をほころばせた。


******


ウチはトイレに席を立ち、鼻歌を歌いながら廊下を歩く。
就業時間内の社内の廊下は静かで好き。静かやけど人の気配がするから怖くない。
足音が、コツコツ響いていい気分。

ウチは大学を卒業してから、建築材の仲買いをしている会社に事務処理方として入社した。
ただいま入社一年目のペーペーなんで、言われたことしか出来ませんねん。
お局様の陰険な意地悪に耐えて忍んで・・・ってイエイエうそですよ、皆さん良くして頂いてます。
物覚えの悪いウチに懇切丁寧に、根気よく教えてくれはるんですよ。
ふう、よいしょすんのはこの辺にしとこかいな。
まあそれなりに気ぃ良く毎日働いてます。好きなときにお手洗い行けるしねえ。
女の人は特におトイレ我慢したらアカンのよ、膀胱炎になりやすいねんから。多いんよ、女の人の膀胱炎は。トイレは行きたい時に行っとかんな。

お手洗いの入り口が見えたとこで、後ろに人がいてるのに気付いて、ウチは振り返る。
誰やと思ったわけではない。一人やと思ってるところに誰かが居ったら確認したくなるんは防衛本能やと思うんよ。
何奴!
「山川さん。」
あれ、びっくった。ウチになんか用で付いて来はったんやろか、だって何か言いたそうにしてはるし。
さっき頼まれた書類になんかあったんやろか?

「沢柳さん。」
「なんでしょう、山川さん。」
同僚の意味ありげな呼びかけに、ウチはもしや・・・という思いが脳裏を掠めた。
わざと分からん振りでことさらニッコリと笑って山川さんの出方を待つ。
「今日、帰り暇?良かったら一緒に晩飯食いに行かない?」
あー・・・・・・やっぱりか。
前から何回かさりげなく誘われてるなあとは思ってたけど、ウチ一人に絞ってくるんは初めてや。
ウチに気があるんかなあとは思ってたけど、これで確定か。
別に悪い人違うし、優しい良い人やし、ごくごく普通で、数年前のウチやったら迷わず選んでたタイプ。
しかし今のウチには不義理できひん相方がおるからなあ。
自分の考えにポッと頬が熱くなる。ああいやいや、ゴホンゴホン。
え〜と、どない切り抜けようか上手い断り方ってよう知らんねんなあ。

モゴモゴと口の中で出ては消えていく断り文句に、漂う沈黙が居た堪れん。
う〜〜〜、早く切り上げてトイレに行きたい。上手いことその気がない事を伝えつつ、食事の誘いを断りたいけど、たぶん緊張しまくってるんやな、ウチ。の割には冷静に自己分析してるけど。
「無理、かな?予定でもあるの?」
「あ〜、いえあの、その。」
下手な断り方したら後で雰囲気悪なるやん、仕事しづらくなるやん、それだけは嫌やん。
あ〜も〜。
「大和。」
廊下に響いた大きい声に、ウチの方はビクンと震えた。
山川さんの肩越しに、『不義理できひん相手』がおったから。
び・・・びびった!!ドッキーーーンって心臓鳴ったで!ウチはやましい事なんぞなんもしてへんからな!しかしウチの思考とは裏腹に、身体は緊張で固まって動かん・・・。
「なんでこんなトコおんねん、お前の机は空やったし探してんぞ。」
眉間を寄せながら近づいてくる件の人物を視界に捉えて、ウチはしばし呆然。
「え・・・ウチとこの部署行ったん!?」
目の前の山川さんを押し退けて、近づいてくる件の・・・ともみんに詰め寄った。フリーズなんか解けたわ。
「お前の席どこか分からんかったし、社長に案内してもろてんぞ。何か悪いんか。」
ブスっと機嫌の低下したともみんに構ってられるか!なんちゅーことをしてくれたんや。
「ドアホ!アンタと知り合いやって知られたないから、来んなって言っとったやろおお!」
ともみんのネクタイを憤怒のままに締めたったら、さすがに土気色の顔色しとったわ。へんっ。
殺す気で締めたから、三途の川でも見えたんか焦ってウチの手ぇ払いよった。チッ。
「ゴホッ・・・し・・知り合いと、違うやろが。俺ら付き合ってるんやろ、恋人に会いに来てなんか悪いんか、不都合でもあるんか。」
チッ・・・言いよったな・・・。ウチは隣に追いやられた山川さんを盗み見た。
彼は驚いたように目を見開いて、ウチとともみんを交互に見てた。
そら驚くやろな。今年入ったばっかりのペーペーが、親会社のトップと付き合ってるとか聞いたらなあ。
ひた隠しにしてたのに・・・あー、もう職場復帰できひん・・・。

「ほんで、アンタはコイツになんか用か。」
不機嫌全開でともみんは山川さんを睨んだ。絶望でフォローする気にもなれへんかって、山川さんには悪いことしたわ、すごすご帰って行きはった。すんません。
あと、うちらのことは言いふらさんとって!!


******


「アイツ誰や。」
遠ざかる背中に舌打ちして、ともみんがウチに聞いてきた。
男の嫉妬はみっともない。しかし、この人これで意外と嫉妬深い・・・。
「同じ部署の人。」
それ以上でも以下でも以外でもない。そう説明するしか他に言いようがない。
「ほんまかあ〜?」
かっちーん。
なんよ、その猜疑の目は!!ウチの健気な乙女心を知りもせんと!その眼ぇ突いたろか!!
「アンタかて、何でこんなトコに居るねん。そうそう気軽に子会社に顔出せるほど小さい会社と違うやろ、アンタの会社は。」
腐っても大グループの一部門を担う大会社のはずやし。こんな格下もエエトコの会社にわざわざともみんが来る理由なんてあるはずがない。
「さっき、言うたやろ。・・・お前に会いたかったって。」
唇を尖らして、照れ隠しに視線を逸らして、ほんのり赤い耳がウチの心臓を絞った。
きゅんっ
もう、なんもかんも許してしまいそうになる、本人も自覚してない最大の武器。

・・・初めはこんなはずやなかったんやけどなあ・・・。


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