【呼ぶ声の幻に焦がれておかしくなりそうだ】


 今まで生きてきた数十年間、それなりに恋をしてきたと思っていた。
だけどその恋が本物だったのかと疑わざるを得ないほど、この感情は「恋」と呼ぶに相応しい。

 彼女と出会ったのは親戚の結婚式。親戚の妹が、友達だと紹介してくれた。
目が合った瞬間に、囚われた。鼓動の速さに体が熱くなる。
一目逢ったその日から恋の花咲くこともある。いつかのテレビで聞いたフレーズに、一目惚れを実感する。
けれど直後に聞いた彼女の名前は、数年前の記憶に残る小学生のものと同一で、また同一人物であるとほのめかす彼女の言葉にただ驚いた。

 あれは大学生の頃、家業以外に己に適した職業はないかと、親の敷いたレールに反発しての行動だった。たくさんの職種を経験したくて、いろんなバイトを転々としたその内のひとつ。
 知り合いの伝手で数ヶ月の間、生花店でバイトした。その店が贔屓にしていた華道教室の生徒の一人が彼女だった。はじめは完全に男の子だと思っていて、それが間違いだと気付いたのは生花店を辞める日。
 幼い恋心を告白されたけれど、受け入れられる訳もなく、ただ慰めに着慣れていないスカートを褒めた。涙を流して言い募るので、冗談や誤魔化しは失礼だと思ったから、自分なりに誠実に答えようとしたのは憶えている。けれどその返答が果たして誠実だったかどうかはもう憶えていない。ただ、帰りの車の中でもう少し旨く答えようもあったのにと後悔しまくったのは妙に記憶に鮮明だ。
 そんな、一度こちらから断った彼女に今改めて惚れるというのは、なんとも皮肉な話ではないだろうか。
だけれど惚れてしまったのはしょうがないし、あの時に未来の彼女を見抜けなかった俺の先見がないのが悪い。
正直これほどになるなら、あの時捕まえておくんだったと後悔もする。俗っぽく言えば『紫の上計画』とかいうやつを生で実行できたかもしれないのに。
きっとこんなことを考えていると知ったら、彼女は嫌悪感もあらわに昔の恋心まで抹消したいと思うに違いない。
俺は自嘲的に笑って、この恋が成就する確率は低いだろうと考える。
 小学生の、年上に対する恋心なんて半ば憧れのようなものだ。恋に恋するとはよく言ったもので、現実を目の当たりにすると途端に萎んでしまう。
彼女が4年歳を重ねた分、俺も4年歳をとった。女子高校生には24の社会人は相当な年上に写ることだろう。
十分に分別もつく歳だ、そんな年上と交際せずとも同じ年頃が彼女には似つかわしいと気付くはず。
 幼い頃の恋心を捧げた相手として彼女の記憶には美しく残るだけで、現実には俺は冴えない男だと思われるだろう。結局、未来の社長である兄を支える形で親の会社に入社して、富も名声も今のところは親のコネ。人に誇れる特技もないし、頭が良い訳でも運動神経が良い訳でもない。さりとて人目を惹くような容姿をしているわけもなし、標準より少し高い背丈以外は特筆すべき外見はない。
自分で自分のステータスを改めて分析して落ち込む。これで彼女が振り向くはずもない。
俺のほかにも彼女に言い寄る輩はたくさんいた。きっとその中から彼女は自分に相応しい相手を選ぶんだろう。
俺がこのまま何も行動を起こさなければ、俺の知らないところで彼女は遠い存在になっていくんだ。
 そう、このまま何もしなければ。

 けれどその彼女自らが、俺の目の前にやってきたのなら、俺はどうすれば良い?

 退社時刻を見計らって、場所を教えたのは親戚のみつこだろう。会社を出た俺の目の前に、彼女が立ちはだかった。
「新納さん。」
彼女の声で呼ばれたら、胸が震えるのは当然。
「あ・・・・あきら、さん。どうしてこんなトコに・・・?」
戸惑いとは裏腹に、心の中は歓喜する。彼女に会えたこと、彼女が会いに来てくれたこと、彼女の言わんとすることに。彼女のうっすら紅の頬が、俺の願望に近い自惚れの予想を裏付ける。
「新納さん、・・・私・・・」
今までのネガティブ思考を追い出して、一気に自信を回復させた。
 女の子に、言わせちゃいけない。

「好きです、付き合ってください!」

 気がついたら彼女の手をつかんで、そう叫んでた。
真っ赤な彼女が愛しくて、自然と笑顔がこぼれた。
人気の多い退社時間、会社の前で告白なんかして、大勢の社員に見られたのは言うまでもないけれど、恥ずかしさを凌駕するほど彼女の答えの方が嬉しかった。
ただ赤らめた顔を、縦に振っただけだというのに。


 頬を染めて、彼女が昔と変わらぬ思いを俺に抱いてくれていたと告白する。
そんな旨い話が現実で良いんだろうか。俺は思わず自分の頬をつねって、彼女に笑われた。
愛しさに胸がいっぱいで、ギュッと彼女を抱き締める。
「清正さん。」
ああ、彼女の声で名前を呼ばれるのは、なんて気持ち良いんだろう。抱き込んだ温もりを逃さないように、俺は強く強く腕に力を込める。
「ねえ、清正さん?」
「ん?なに、あきらさん。」
 俺の胸に顔をうずめていた彼女が、腕の拘束から逃れて見上げてくる。
目を細めて笑顔の表情を作った。綺麗な表情だ。
「私の名前、知ってる?」
小首をかしげて聞いてくる。知ってるも何もさっき言ったじゃないか。
だけれど彼女は首を振って否定の意を示した。
「私、4年前に清正さんに自己紹介したの。私の名前、あきらじゃないわ。」
 彼女の言葉に血の気が引いた。今まで何度も呼んでいたのに、彼女の名前じゃないと言われても戸惑うばかり。俺の記憶には『ニシオアキラ』と刻まれているのに。
「私の名前、明美潮。清正さん、私のこと男の子だと思っていたから、勘違いして受け取ったのね。男の子にしか見えなかったものね、あの頃。」
 にこやかに微笑んでいても、血の気の引いた俺には氷の微笑にしか見えない。必要以上に男の子に間違えたことを繰り返すから、相当に根に持っているのだろう事は俺でも分かる。
冷や汗の噴出す顔に彼女の視線が突き刺さる。今はただ気まずくて、まともに顔を合わせられない。
「いいの、気にしないで。男の子に間違われるのはよくあることだったし、好きな人に間違われるのはちょっと傷ついたけど、そんなに根に持ってないのよ、本当よ。」
意地悪な物言いだ。だけど間違えたのは悪いことだと思ってる。これは時間をかけて償わなければいけないだろうなと思考の片隅で考えた。
「清正さん、だからね、今度からはちゃんと呼んで欲しいの。」
見下ろした彼女の言葉にハッとする。
そうだ。
「みしお。」
 初めて呼んだ彼女の本当の名前。花がほころぶ様に彼女が笑顔を見せる。
「ずっと夢に見ていたの。貴方に名前を呼ばれることを。」
幻でも見そうなほどに。
「みしお・・・、美潮、美潮・・・」
たまらず名前を連呼する。そんな表情をするんなら、何度でも呼ぶよ。何度でも。
腕の中に閉じ込めて、何度でも耳に囁くよ。俺の想いも一緒に。
「清正さん・・・」
 口付けたのはどちらからか、一生離さないとでも言いたげに、互いの体に腕を回した。
硬く抱き締めあった抱擁は、いつまでも続いた。


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